[ NO.1174 ] [ 2000/07/25 02:06:40 ]  [ 投稿者:S.Sone ]
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RE:1171

 手塚と石ノ森の遺作のあつかいを見ると、せつないものがあり

ます。絶望と戦っていたのか飲み込まれつつあったのか判断でき

ないものが、中断されたまま残った手塚と、「HOTEL」がちゃ

んと続いている石ノ森。

 手塚は、アニメ業界とマンガ業界という、それぞれ独立して似

ているけど別のリクツでまわっている2つの世界を、行き来する

確信犯だったのか、両方とも同じもんだと思っていて裏切られた

と感じていたのか、最後の到達点は、何だったのだろう。

 マンガの人で、晩年までチャレンジと言っていた、マンガ業界

の住人、石ノ森が「サービス業・職能・最大公約数の人間ドラマ」

に回帰するのは、自伝のようなものです。

 幸せな教訓的ストーリーに到達するのは、評論家としてものた

りないと言うより、単純にうらやましいですよ(笑)。

 手塚は、ストーリーマンガの父と「言われている」けれど、本

人はなんと自認していたのか? 「ぼくは孫悟空」と言ってはい

るけれど。



 手塚の研究が、死後数年、まとまらなかったのは、アニメとマ

ンガ界の、二重性(の人間関係)にあったと思います。



>手塚だと、純朴なバカと意思のある奴という二人の主人公が出
>てきて、後者がその理想ゆえに悪の道に

 火の鳥の大和だったか鳳凰だったかの、我王とアカネ丸。あれ

は、人間の性(性悪説・性善説)に関係なく、時代の流れという

ものに、いやがおうにも飲み込まれる無常観をうたったマンガと、

ぼくは読みました。

 我王が乱暴者に見えて、実は、愛すべき人。アカネ丸の功名心

が貴族につけこまれる、弱く悲しい人。アニメのほうは、モロに

そうで、そういう悲しい男を見守る女、という構図で、ヒドイよ、

と思いましたが。

 そんな単純な人間なら、そもそも多作にならねぇって。生命力

が、すばらしくも矛盾をはらんでいるから、火の鳥はシリーズな

んだって。

 ヘタしたら、生命は、生命であるというだけでは肯定できない、

生きるということはすばらしくない、ぐらいの葛藤があるって。



 手塚の魅力には、結局なにが言いたいの、どれが正解なんです

か? と解読に困る、というのがあります。

 なにが言いたい、とかメッセージ性じゃなくて、その先のドラ

マを、味わってくれよ、と。マンガのネタになるなら、なんでも

いいやという、残酷なまでのドラマ主義。

 主人公が死なないのは、ドラマを終わらせないため、わき役が

死んだり生き返ったりするのは、ドラマをもりあげるため。生命

賛歌は、ドラマのための方便、くらいにアンモラルな、冷徹なイ

ンテリだったのかもしれない。

 手塚は、最大公約数の側の人間じゃあない、そのフリはできた

し、最大公約数の人間を感動させることもできたけど。

 異端者としての生きザマ、という意味でも、本人にも、やはり

魅力はあります。



 そね



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