[ NO.1172 ] [ 2000/07/25 00:53:34 ]  [ 投稿者:S.Sone ]
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RE:1170 徳を換金するバケモノども

 ふつう、敵というものは自分が生み出したマボロシだとか、す

べての災いは自分のせい、だとかビトクがあるのですが、その美

徳を金銭に換金している「みえないマルチ」みたいなモンの存在

を、ぼくは見ていたんですね。「シックス・センス」の主人公の

ように。

 当然、この「みえないマルチ」の醜さや害悪は、私にしか見え

ないので、誰とも怒りや憎悪や虚無や苦痛を、共有することがで

きませんでした。

 ただ困っていただけだったんだけど、もう、なんとも思いませ

ん。

 幽霊語と人間語を翻訳するようなテクニックを、この1年で、

ようやく身に付けた、というようなカンジです。実は、ぼくは、

佐藤さんと会話をしていなかったんです。

 ぼくの憤りを、佐藤さんにも類推できる「様式」で、想像して

もらっていたんです。

 でも、佐藤さんと、なにか通じ合えるような会話ができて、そ

れだけで、まずは、むくわれました。



>本気で、自分がやっているのは良いことだ、相手のためにも良
>いことだ、という善意から動いてたりするから却ってしんどいんです。

 利益の出る共同作業は、すべて肯定されるべきである、という

ボンクラには、孤独な不利益の豊穣ゲーム理論よりもドラマ理論

と言いたいですね。

 善意は、善意だけで肯定できない。社会性と「化学反応」をお

こした成果が重要で、善意は要素のひとつにすぎない。その常識

がなくて、利益とトモダチだけを信じる。

 マルチのただ中にあるやつは、そもそも葛藤しない。悩みがな

い。まわりがマルチだけで、その世界はまわるから。そもそも批

判的な人間を排除(勝ちぬいて?)してマルチはなりたっている

から。

 これを批判するのは、実は、根元的に資本主義を批判するしか

ないんじゃないか。

 ワイルダーの「1、2、3」逆パターンで、志を同じに。

 市場経済(のルールを守る、他のマネープレヤーとの競争)と

いう、資本主義の原則を。

「良いことをして得ようが悪いことをして得ようが、金は金だ」

という価値観を、モラルの問題でなく、原理的に批判すべきじゃ

ないのか?

 ぼくがピカレスク・ロマンこそ評価するような人間であること

は、置いておいて。



「人間の身体性、貨幣の物質性」

 人間がカラダを持つ生き物であることは、老い、美醜、病気、

衝動、寿命、それにともなう、みっともなさや美しさで、格闘

技や演劇を経験しているなら、嫌がおうにも、おもいしらされ

ざるを得ません。性欲、とか。

 しかし、本来的に「普遍」の象徴である貨幣は、その物質性を

失うべきではないのか。サツタバから、ただの象徴に戻れ。

 その時、安くて丈夫な大量生産品の必要性や、高価な趣向品や

希少品のすばらしさ、便利なアイデア・ハイテク商品の利便性と

魔性を、もういちど理解できるのではないか。

 そして、自分の人生というアイデンティファイも。

 資本主義と、その電子化は、もっと加速してほしいですね。紙

幣や硬貨をボクメツして、貨幣はデジタルな数値データのみで存

在する世界。

 デジタルキャッシュがあまねく広がって、すべてカードで経済

活動が完結、株価は電光掲示やディスプレイ印刷物で、データだ

けが存在し、株券も廃止。

 そのとき気づくはずなんです。ぼくや佐藤さんのデジタル・テ

キストでの対話が、交換不可能な別の意味と、複合的な価値を持

つように、デジタルにすぎなくなった「貨幣もまた普遍ではない」

と。

 おまえの100円と、おれの100円は、価値がちがう。同じ

日本円でも、別の人生の、別の手段で生み出されたからだ。等価

ではない。交換できない。貨幣は無条件に普遍ではない。人間が

無条件に平等でないように。

 おまえの一万円札よりも、おれの一円玉のほうが尊い。本気で

そう言える人間だけが、人間は平等だ、と言っていいのかもしれ

ません。



 ドラッグの売人ルートと、あまりにも酷似しているアメリカン・

ウェイの販売ルート(ビジネス特許モデル取得だそうです)、をマ

ネた日本的マルチ。

 マルチでいくら金をつんでも、年金をこつこつためた、おばあ

ちゃんの50万円
にはかなわないんだ、と人情ドラマのように、

さとしても悟らないなら、もう原理的に、市場経済に対して無信仰

をつらぬくほかない、というか、本場のアメリカやエコノミストは、

とっくに気づいているんですね。市場というビッグ・ブラザー((C)1984年)

に。

 「マトリックス」を産みだせたアメリカ人は、SFの本場ですし、

ダブルシンクは得意ワザ。「神」を信じて、信じない。

 日本的マルチは、他人を信じて、信じない。自分たちを信じて、

他人は食い物。「個−全」の個人主義の手法を、「世間−外」の日

本社会に、個人主義のテクニックだけを輸入するバカ共。



 結局、おとこふたりで久しぶりに再開して、カラオケでブルーハー

ツをガナったようなもんだったけど、楽しかったです。

 マルチじゃなくてまっとうな職について、生をとりもどせ、と要

約しても、リストラの嵐がふきまくっている中、現実性・普遍性・

社会性のない、大きなお世話にしか聞こえないかもしれない。



 ぼくは、自分の精神的経済的なモノサシから、フィットするも

の、共鳴する魂をさがしていたら、1960年代のアニメーター(監

督とかじゃなくて、セル画ヌリ)にまで、戻らなければならなかっ

た。

 70年代のマンガなら、童心に戻って読める、とか。

 お互いにビンボーでガキですな。ボキャブラリーと年齢が増え

ただけで。と確認できただけで楽しかったです。

 もう少し、生きてみますわ。



 今いる会社、明日でやめる予定なので、こんどこそネット環境

をロストします。よろしく言っておいてください。



 おたっしゃで



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