[ NO.1164 ] [ 2000/07/20 21:19:54 ]  [ 投稿者:S.Sone ]
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RE:1163 納涼企画・ソクラテスの弁明2000

>日本人がきちんとした「独り主義者」になれんのは、社会契約という発想の欠落のようにも思う

 こういう話ができるのは、ガクセー時代以来だというノスタルジーだけで

しつこくつづけてよいでしょうか?



「オースティン・パワーズ」

 宗教(もしくは文化)が、本来的にドロップアウトしたものを救

済するストーリーと組織であるのに、なぜ、勝者と敗者を選別する

資本主義を産み、資本主義の滅亡を預言した共産主義は、なぜテメェ

のほうが滅亡したのか?

 孔子は、仁(礼だったか?)を、美人より愛する人間はいない、

と言いましたが。

 資本の論理を、上手に泳げない人間には、強くなれと言うしかな

い。言われてもいい、強くなってやってもいい。でも、勝負の世界

だけじゃ、疲れますよ。



「トレイン・スポッティング」

 独り主義者というのは、自嘲です。ワタクシの”つかえる人間指

数”なんてもんは、イナカの薬チューとあんま変わらんなぁ、と。



「ディアボロス」

 社会契約という発想が、そもそも、人間をドロップアウトに追い

つめているのではないか?

 だって、どこの社会(世間)の、どこの企業(資本)と、契約す

ればいいのですか? 模範解答がないとして、佐藤さんは、何と契

約したいですか?



「モダン・タイムス」

 ぼくは、マクドナルドみたいなインターナショナルな巨大企業と、

バイト契約なら結んでもいい。時間給を絶対払うだろうし、クビに

なっても痛くないし、愛社精神を求められないし、ルーチンワーク

さえしていれば、こっちが何を考えていようが、気にしないだろう

し、バレない限り。



「狂い咲きサンダーロード」

 関 曠野は、「プラトンの資本主義」で、自由とは、何かの党派

に属する自由なのだ。その根にあるのは、だれにでも訪れる青年期

の苦労、通過儀礼の痛みに耐えられない弱者の世界認識なのだ、と

言いました。

 まあ、日本で最大の自由を味わいたいなら、最大権力を持つ自由

民主党の影でこっそりウハウハする、と言えばわかりやすいでしょ

うか。

 論理的には正しいですね。現実的ですし。

 しかし、学生時代に、この本を読んだワタシは、コジキになるか

世界征服するしか、”本当の自由”は手に入らんじゃないか、と困っ

たんです。

 まあ、つまり、これは、不幸な人間が、幸福になる努力をせずに、

自由になりたいという欲望を、政治にからめとられる悲劇を示唆し

たものなのだ、と数年後、気づきました。

 もちろん、関さんは、人間はとことん政治的な動物であるからこ

そ、ここんとこを真剣に考えろと言っているわけですが。



「ID4」

 独りの自由よりも、仲間と共同作業で幸福になろう。ひねくれた

旅人も薬づけのプー太郎も、ひとつになって戦わざるをえない、強

大なエイリアン。

 いるといいんですけどね、倒せそうな巨悪。あるといいんですけ

どね、そいつをみんなで倒す、聖戦という通過儀礼。

 帰属意識をもたせるための、おとぎ話。その最も有名なものが、

新約聖書のアポカリプス・ヨハネの黙示録でしょう。

 しかしこれらは、1000年以上むかしのレトロ・ウイルスで、

もう、あらゆる血清がきかない末期患者がうまれているんですね。

 それが、独り主義者という、帰属意識をもてない、救われぬ病だ

なと思っております。このビョーキは、死に至らないから、本人じゃ

なくて、まわりが迷惑するんですね。

 まわりが個人主義者ばかりなら、独り主義者を制御することは不

能、ヘタするとアタマからくわれる、とアラン・シリトーは「長距

離走者の孤独」で100年くらい前に、やっているんですけどね。

 個人主義者は、通過儀礼という儀式を、共有・維持できない、と

いう致命的な弱点があります。おまえらのていどの集団じゃ、個人

として帰属しないよ、という魂を飼いならす術はない。その前に儀

式がない。

 エンターテイナーやショウビジネスの、だれとだれのファンにな

るかコレクションセンス(=好き嫌いという差別)をコーディネイ

トして、うすめられたプリミティブを大量消費して、帰属意識への

飢えを、死ぬまでゴマかすしかないのかな、とサミシー気持ちにな

ることも、たまにあります。

 ぼくはバンジージャンプだけで、重力を共有している地球人であ

ることを認識できたからいいんですけど、人権なんてものは、その

単語だけで抑圧をおぼえる、独り主義者でもあります。



「ショウほど素敵な商売はない」

 資本主義が、あまねくこの世の不条理を、貨幣を介して解決して

しまった、その行き過ぎな部分も、いくつかあります。

 必要な不条理もあるのです。笑いや泣くことです。不条理だから

こそ、声をあげて笑うのだし、つらかったり感動したりで、涙を流

すのですね。

 なんでもお金で解決できるという、パンドラの箱をロストした不

条理。

 貨幣によって不条理が消えてしまった人間は、泣くことや笑うこ

とを、劇場で買うほか、なくなってしまった。のでは、もちろん、

ありません。自分の人生や感情を、投影して泣いたり笑ったりして

いるわけですが。

 ぼくがテレビをほとんど見なくて、ハリウッド映画に期待するの

は、ユーモアかアクションなのは、金をはらって感動したくない、

ということなのです。感動の涙は実生活で流したい。安っぽいヒュー

マニズムに感動するほど、チャチな人生は送ってないよ、という自

負があるのですが、好きなものもいくつかあります。



「ファントム・メナス」

 現代人が、奴隷社会の苦しさや、戦国時代の厳しさ(に似たよう

な事はあるだろうけれど)でなく、資本主義の紆余曲折を体にため

こんでいる以上、同じ、資本の論理のショウビジネスの演劇で、感

動したりするのは、あたりまえなんですね

 近代日本文学が、東洋と西洋の文明の衝突によって、「こうでも

考えねぇと、やってられないよ」「たのむから、こうなってくれ」

という時代戦記であったならば、2000年に、近代日本文学をひ

きずりすぎているのが、おかしいってなもんで。

 いまの時代戦記は、インターナショナルなデータと化した貨幣に

より、不条理がかき消される不条理の悪戦苦闘であるわけで、経済

権力ゲーム的なものにならざるを得ない。それが今だから。そうい

う世界に生きている人間のためのショウだから。

 古き良き物をさがす、とか、過去と今とのつながり通底、でなく、

単に自分が知っているものが近代日本文学だけで、日本の経済権力

ゲームのポジションの恩恵で、そういう人間でもなんとなく生きて

いける文壇や虚業一般に興味ナシのワタクシです。

 大学教授なんかと同じで、死んでいることに気づいてないだけだっ

て。

 情報にすぎない貨幣と戦うことが、今を生きる主流なのだから、

それらの埒がいのポジションである日本のアカデミズムや虚業は、

生きたことすらない。

 マネー・トレーダーのほうが、文学的なのですな。



「マトリックス」

 こんな時代に、聖戦「ジ・ハード」は起こりえるか? 

 宗教の戒律すら、貨幣の多寡の相対主義にすりかわってしまい、

個人主義のなさかげんからアメリカン・ウェイもマルチビジネスの

親玉あつかい、宗教なんて社会悪とほぼ道義の日本において、10

0対0で、敵と悪、みずからを正義と刃をふりかざす事はあるでしょ

うか?

 金ほしさに、他人の情報を悪用した場合、原理的に、絶対敵をつ

くりあげるんですね。

 電子記号にすぎない貨幣にふりまわされて生きる。それが、ナサ

ケナイけど、ビンボー人の人生のすべてになりかねない。それが、

21世紀の貧困。

 ならば、他人の情報を悪用して、金もうけをしていた場合、全人

生を冒涜したのと道義であって、すべての論理をとびこえて、聖戦

になるのは、ただのあたりまえ。

 貨幣による不条理ボクメツが進化したなら、ただの電子情報が、

現実の聖戦のトリガーになるんじゃないか。

 だから、特許や著作権を大切にしよう、と言うのではありません

よ。

 ルールの問題でなく、身体性が電子記号に置きかわる危険につい

てです。

 働いたアカシが、銀行の通帳の数字、カード決済のキーデータに

すぎない時代には、文学というテキストデータで、そのまま聖戦や

殺人が可能な、魔法戦争の呪文のようなテキストが発生するんじゃ

ないか?

 電子テキストによる聖戦。われわれのようなネットのもの言いに

は、ちょっとドキドキする言葉ですね。


(つづく)



 PS:ぼくは倉木麻衣嬢が、媚媚とは思いません。



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