「個人主義という、最後の原理主義」
http://www.hotwired.co.jp/nextcitizen/komazawa/000711/
宗教モデルとして、多神教ではある(もしくは無意識の)日本
の風土に、強烈な一神教は、根ずかないことはたしかなんですね。
先進国の中で、キリスト教が支配できないのは、日本くらいの
ものでしょう。
多神教の”後サイミン”みたいなものを、聖徳太子が数千年に
わたり、やってるんですよ(笑)。
聖徳太子というのはヒドいやつで(笑)、推古天皇を女王にする
ために、当時の日本に、仏教を輸入しやがったんですね。政敵の
モノノベ氏など、当時の日本人にしたら、邪教の力を悪用して、
クイーンメーカーしている、ようにしか見えんでしょう。
日本人は、その末梢ですからねー。
多神教は、どれだけ相手を己のパラダイムにとりこめるかが勝
負のキメラ、一神教は、どれだけ鋭く熱く、純粋に、相手を切り
刻めるかが勝負になるモデルですね。
個人主義者(わたしは、独り主義と翻訳すべきだと思う)であ
るかぎり、KKKや極右イスラム主義者を批判できるわけがない
んですよ。悪魔信仰であろうが、虐殺派であろうが、自分のルー
ルに忠実、という、相似か対称か亜種か極端か、のちがいで、全
部おなじじゃないか、勝者と敗者の別はあるけど。
わたしにあるのは、独り主義にならざるを得ない、おいこまれ
た人間同志として、彼らに共感できるだけですよ。
で、独り主義を知らない人間には、こちらには何もないから来
るなと、それしか言葉を持ちませんよ。
20世紀のうちに、自分が原理主義者であることにすら無自覚
な、エセ独り主義である、個人主義のワクチンが生まれるといい
ですね。
そね。
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