「がんばれ押井守 −映画「攻殻機動隊」によせて− 」



 しょせんは人工肛門なんだよね。 

 攻殻機動隊の主人公・草薙素子は、どんなにカッコよくてもス

ゴくても、 全身サイボーグなんだから「人工肛門」です。 

 サイボーグとは、からだの一部を機械で代用することを言うの

だから、極端な話、差し歯やコンタクトレンズを使っている人は

サイボーグなんです。 

 人工肛門の渡哲也はモロにサイボーグ。つまり「西部警察」は、

攻殻機動隊の実写バージョンだったのですな。 

 曽根が映画「攻殻機動隊」を観て得たものは「渡哲也はサイボー

グ」というギャグひとつで、「感想は?」「人工肛門」としか言

えないダメ映画でした。 



 作家の持つベクトルは、大きくわけて2つあります。それは、

自分の作ったもので楽しんでいただこう、お金をもらうかわりに

芸でかえそう、という「サービス精神」と、オラオラ俺はこんな

むずかしいこと知ってんだぞ、ホレホレ俺のもっている技術はす

ごいだろう、という「自己満足」です。 

 もちろん、両方必要です。わがままかつ傲慢に知識体系を組み

上げたり、強烈な自負のもと技術への向上心がなければ、サービ

スしようにも方法がありませんし、人を楽しませようという意志

がないオナニーを見せつけられても困ります。 

 士朗正宗は、サービス精神のかたまりのような作家であり、濃

密なディティールや、哲学っぽいセリフをはくキャラクターたち

は、物語への肉づけにすぎません。彼の情報量の多いマンガたち

はサービス精神のたまものです。 

 もし士朗正宗が、自己満足路線でつっぱしっている作家ならば、

むずかしいテーマやオタクな知識をこねくりまわして絵がヘタク

ソな「ガロ系」マンガ家になっていたでしょう。彼は、かわいい

女のコを描くテクニック、万人を納得させる世界観、ストーリー

設定まで、すべてをふくめて読者に奉仕している偉大なマンガ家

です。 

 その逆が押井守で、技術が優れているものの、オナニーのプロ

にすぎません。まあ良く言って「職人」。アニメ界の金メダリス

ト、図画工作の人間国宝、センズリ大帝ってとこですか。俺はこ

んなムズカしいテーマに挑んでいるんだぞ、おれの技術はすごい

だろう、って。商売(おかねを戴くかわりに芸でかえします、と

いう健全なエンターテイナーの興業)する気あんのかな?

 映画「攻殻機動隊」は、原作の士朗正宗が一流だったから良かっ

たものの押井守に監督されて、まったく観るにたえない作品になっ

ていました。 

 原作を何度も読み、フィルムコミックで「予習」もしていた曽

根はともかく、一緒に観に行ったフツーの人である友達は寝てま

した。「ねえ6課ってなに?」とか、そういうレベルの人はどう

すりゃいいんだ? 金かえせ! 



「モラトリアム映画は、もういいよ」

 モラトリアム小説(マンガ)とは、ウジウジした青年が男にな

る、というテーマをあつかった作品です。中島敦「悟浄出世」・

安達哲「さくらの詩」がオススメです。 

 実は映画「攻殻機動隊」もモラトリアム映画です。士朗正宗は

ギャグマンガ家(ほめ言葉です)だと思っていましたが、映画の

草薙素子はセリフは青くさい哲学しか語らないし、自分の好奇心

のために命令無視(公務員だろテメー)したり、もうまったくの

人工肛門。フチコマ出ないし。 
        アイデンティティ          クサナギモトコ
 自分の生きる理由喪失におびえている哲学青年が、擬人化した
ネ ッ ト ワ ー ク
「世界という情報」(=人形使い)と融合することによって、新

しい存在になる。それだけ。社会や他人を受け入れることによっ

て人間は大人になっていく、という、お説教。サイバー「次郎物

語」、ハイテク「路傍の石」なんだよな。もういいよ。 

 いっそのこと、渡哲也で「攻殻機動隊」つくれば良かったんだ

よ。人工肛門というハンディキャップを背負って苦悩する渡哲也。

こまめにメンテしないとウンコくさいとイジメられるし、不便だ

し(シャレじゃないです)、本物のアナルがふさがって、ホモの

上司・石原裕次郎との関係にヒビは入るし、人工肛門という人生

が苦痛で苦痛でたまらない。 
 アイデンティティ   クライシス
 心のよりどころ 崩壊だ。 

 しかし人間はそれでも生きてゆかねばならない。生きろッ!ア

ナル刑事ッ! 

 豊胸サイボーグのボイン刑事・山本リンダや、人工植毛のズラ

刑事・谷村新司、ロボトミーのジミー大西と力を合わせ、人工肛

門のしめつけで巨悪を倒せッ!! 

 こっちのほうが、よっぽどドラマツゥルギーあります。 



「ドラクエの説明書ていどの、タイソーな哲学」

「特殊化の果てにあるのは緩やかな死である」であるって、むず

かしいこと言われても、そのナカミは、いくらスゴイ奴等でも似

たようなのばかりあつまったらアウト、ということです。だから

特殊技能を持ったサイボーグ集団「6課=攻殻機動隊」にトグサ

のような、一見、能なしのキャラクターがいたりして、彼は戦闘

力を持たないがゆえにシブイ活躍を見せます。 

 しかし、これはロボットばかり生産する没個性の管理教育はよ

くない、と叫ぶPTAだって知ってることですし、ドラクエの説

明書にだって、戦士ばかり魔法使いばかりのパーティーは良くな

い、どんな敵があらわれても対応できるようなバランスのいいグ

ループを作りましょう、そうしないと全滅ばかりして冒険しにく

いですよ、って書いてあります。 

 ドラクエの説明書に書いてあるようなことを、わざわざ難しい

言葉にして、たいそうなテーマにされてもねえ。 

 過去の押井作品のテーマや哲学は「武器や防具は、もっている

だけじゃだめだ。しっかり装備しろよ」みたいなことを、わざわ

ざ難しく言っているだけだし。 

 押井アニメでテツガク語ったり、ありがたがっているのはバカ

だけだね。 

 それより、「遊び人」(ボードビリヤン:道化)と「賢者」の

通底ということすらゲームシステムにとりいれた、DQ3の堀井

のほうが100倍すごい。 



「がんばれ押井守」

 ま、脳みそスポンジの狂牛病アニメオタクは「絵がキレイだなー」

とか「スゴいテーマだなー」なんて喜ぶんじゃないンですか? 

でも、そのオタクをターゲットにして健全な「商売」するつもり

なら、ガイナックスを見習うべきだしね。 

 技術は持っているだけじゃだめです。サービス精神も装備しま

しょう。 

 あーもう、ふつーの人が見れるアニメって宮崎駿しか作れない

んですかね。 

 「もののけ姫」萌へ〜。



 初出は一年半くらい前。古くなった時事ネタが痛いナ。

 つい先日、あちらの掲示板にも投稿したんですけど、それなり

に読まれるべきと思ったので掲載します。

 映画「攻殻機動隊」は、あたかも、アニメ「エヴァンゲリオン」

の裏番組のような扱いで、鳴り物入りのワリには興行的にはコケ

たんじゃないのかな?

 しかし、一年半たった今、エヴァに熱狂するオタクを見ている

と、あの時代、唯一オタクに説教カマしていた押井守は、かなり

偉かったのかな? とも思います。

 そして、押井守が総合監督として発表した「レムナント6」は

すばらしい作品でした。

 ぼくは、今年のオレ的ナンバー1映画は、まだ見ていないケド、

「もののけ姫」でなくて、「レムナント6」にしようと思ってま

す。



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