ファーブルは、なんかいちいち怒ってるんですよ(笑)、もちろん全編ユーモラスで愛敬たっぷりの「昆虫記」なんですが、とりあえず学者に対しては怒っている。昆虫には愛情のまなざしなんだけど、動物や昆虫の世界を進化論で説明する輩には手厳しい。
同時代者に、進化論のダーウィンがいます。曽根は、ダーウィンに対しては意見を保留させてもらいますが、マルクスとマルクス主義者が別物のように、本人・本家・開祖・教祖が、ファン・分家・弟子・信者と別物のように、ファーブルは俗流進化論者が心底キライだったんでしょうね。
おそらく、その当時の進化論者たちは、人間を進化の頂点・神のつくった最高傑作として、他の動物を未熟なものとしたり、動物の生態から(共存・縄張り争い・順位づけ・メスの奪い合いetc)から俗流人生論を語ったり、弱肉強食・適者生存を差別に利用したり、自分のアタマの良さをみせびらかす、くだらねえ物言いがあったんでしょう。
世間知らずの学者が、システム分析やモデル解析して、なんか言った気分になることに、いつの時代だって心ある人はムカつくもんだ。
余談ですが、ファーブルは趣味に耽溺したオタクというより、ゼニカネに苦労しドラマティックな人生を送った名物男といったカンジです。辛酸なめつくした男のやさしさを感じさせます。また、昆虫の世界を合理的効率的に分析することもないです。あたらしい発見と、未知なる世界を知ることに、ひたすら喜びを感じているふうです。
世界に対して心のこもったコトダマを与える。その言葉が、数字であることもあるだろうけど、湯川秀樹や寺田寅彦のようなタイプの科学者ですね。なんかテキトーな数字をならべて、底の浅い結論を出すことが「理系でござい」のポーズになっている古今ですが、現在でも優秀な理系のひとたちは、しなやかなコトワリを、数字もまじえて語りかけます。
話がそれました。
種としてあまり合理的でないフンコロガシのほうが、効率的にエサをあつめられる体の部品(=パーツ)をもっている種よりも繁栄していることを指摘し、適者生存の「優性遺伝」(=メンデルの遺伝法則でなく、「すぐれたものが生き残る」ナチスの優生思想ライクなヤツね)に異を唱えたり、ハチが子育てにタマムシを「生き餌」として保存するが、なぜ腐らせずにそのイケニエを保存できるのか? その芸術的な猟師としてウデは? と謎を解き明かしていくくだりなんかはミステリーを読むようでした。
合理的に効率的に世界を分析してしまうストーリィを批判しています。フンコロガシ飼育するために、えさのクソかきあつめたり、バフンを盗んでいる(=当時、肥料は財産)と隣人に怒られたり、お互いのエサ(クソ)を盗み合うフンコロガシの生態に「財産は盗品である」(プルードン)、「力は権利の上をいく」「略奪は一番実入りのよい商法として繁盛している」と、昆虫の泥棒競争社会に溜飲をさげたりしている。楽しそうだなあ。
わたしは、唐突に「人生でもっとも素晴らしいのは神秘的なことがらである」というA・アインシュタインの言葉を思い出した。
さて、神秘的でない、効率と合理を追い求めるマルチビジネスの話でもしましょうか。いいかげんヘキエキしてるもんで。
成功したビジネスは、なにがしらマルチの臭いがする、商売のノウハウはマルチに集約されるとも言われ、事実だと思います。ただし、かんたんに破綻しないで上手にやれたビジネスってのは、いかにマルチ臭を消しつつも効果的に行なったかってことで。
ぼくがマルチビジネスが嫌いなのは、合理的すぎ効率的すぎるからです。
社員なんて人間くさいもんはいらない、やりたいやつがノルマこなしたぶんだけ歩合で報酬をもらう。夜毎の接待なんてムダ。業務のつまらなさ楽しさを胃に穴が開く人間関係の中で理解しあっていくのでなく、自分の役割と実績をつかみにくい集団のなかで自分を納得させるのもメンドいから、ハコにつめこんで洗脳一発。したがってポジティブじゃない思考もいらない。血縁や友人という身近な人間も顧客と見てしまう近親相姦(商人ってのは、関係ないところにいる、需要と供給をつなげる流通なんですけど)。オフィスなんて維持費が高い物もいらない、契約をファミレスで交わしたら工場や倉庫から直送でコストダウン、ゼニをかきあつめるための効率・法人存続のための合理でないものは、ぜんぶ切り捨て。
合理と効率は、なんのための合理であり効率であるのか? という話であり、闇も裏も逆説も含んだ哲学が介在する。太く短くが合理なのか? 細く長くが効率なのか? 快楽追求のための禁欲や、その欲望を捨てようとする努力はどう説明するのか? つまり、合理や効率というものは、人の数だけ存在するんじゃないか?
ぼくは、合理や効率そのものを、自己目的に追いかけるならば、死ねばいいと思いますよ。存在が無なら、すくなくとも非合理や非効率も無いんです。生きるために苦労しなくてラクですよ。自殺ってのは合理的だから、ぼくはイヤなんだ。効率的にならないと生存すらできないひ弱さが嫌いだ。生はズぶとく、まがまがしい力の源泉であるべし。
他人の生死と自分の生に意味があるけれど、自分の死には意味が無い。ならば生そのものが非合理で非効率なもので、それと折り合いをつけるために、いろいろなものが、世の中にあるのだろう。そんな神秘的なものをさがしたい、と念じています。
ぼくは、アムウェイの中堅クラスの人と商取引していたことがあります。おっと、ウチの会社はアムウェイと無関係ですよ(笑)。某企業の某契約社員の女性が、サイドビジネスでアムウェイをやっていました。契約社員で2000万円・サイドビジネスのアムウェイで3000万。特にバックをもたない40代の主婦が、年俸換算で5000万円というのは、ちょっとすごい。
ぼくは自分で企画書を書く時、このプロジェクトに何人必要か? と必要な人件費を計画せねばなりませんが、その時ヒトリアタマ、バイト300万円・正社員500万円で計算せよと言われてるのでそうしてます。
つまり、年俸換算して500万円が平均的な会社員だとして、あたりまえに10人分働いてしまう、一種の天才。ちょっとちがう雰囲気の人でしたね。教養はあるしオーラも放ってました。我々は畏怖と敬愛をこめて「女王蜂」とか「エイリアン・クイーン」とか呼んでおりましたが(笑)。
別にガツガツした人でなく、幸せに家庭をいとなむ上品な人でした。生まれつき運動神経がいい人間がいるように、経済活動ができちゃう人なんでしょう。合理と効率の非常さに耐えられる強い人ですよ。
そして、合理的でない人間を、あたりまえに奴隷にして、効率的に生かしてあげる残酷な貴族でもありました。自由な国の浮浪者は、奴隷が存在していた時代の国では、むりやり国家のために「使える人間」にされていたはずです。
ぼくは、とりあえず、そういう貴族ではありません。そして、非合理のまがまがしさもなく、効率的な人間のヘータイていどにしかなれない人間は、マルチはやめとけ、と言っておきます。すくなくとも、俺を誘うな(笑)。
最後に。あらゆる昆虫について饒舌だったファーブルは、生涯アリについては語りませんでした。
イヤだったんじゃないか? あまりに合理的で効率的なアリの社会が(98.07.27)。