| 「地獄からの生還」 梶原一騎 (幻冬舎アウトロー文庫) |
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「まあ、いいからやってみろ。もし勝ったらおまえを主役にしたストーリーに書き換えてやるよ。デス・マッチでもいいからとにかくファイトしてみろ!」
と撮影をスタートさせた。するとどうだ。真樹と試合を始めるとまるで大人と子供。 一発ローキックが入ると足を抱えてうずくまり、悲鳴を上げて戦意喪失ときた。 極真ケンカ空手師範代のスゴ味だ。この一発でそれ以後の撮影は実にスムーズに進んでいった。こうして我々は次のロケ地。タイのバンコックへ乗り込んで行くことになる。 |
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梶原一騎(高森朝雄/本名:高森朝樹)が監督する「カラテ大戦争」の撮影シーンです。「あしたのジョー」「巨人の星」「愛と誠」の梶原です。
梶原は、実弟の真樹日佐夫を起用し、ドキュメンタリー空手映画を撮影します。迫力あるドラマを取りたいがために、役者に「デス・マッチ」をもとめ、そいつがナマイキだった場合は成敗しつつ、次のロケ地に飛ぶわけです。 「この主役の真樹をノックアウトしてもかまわない本気で闘ってくれ!」という梶原監督の演技指導に応えたプロレスラーは「猛烈なベアーハッグをしかけてくる。真樹は苦痛に顔を歪めながらも、相手のこめかみに必殺のひじ打ちを喰らわせる。本当の死闘であった」「スタッフの連中は自分のケガを心配して逃げ出してしまう」とか、引用部分のように「私は香港では負ける役をやったことがない。負ける役などとんでもない」という陳耀林をやっつけたり。 これを映画のロケスタッフの撮影ツアー言えるのか疑問ですが「撮影がスムーズに進んで」なによりです(笑)。こういうロケスタッフに「乗り込」まれたくないと思うんだけどね、バンコックも(笑)。 生をもてあましたような人間の自伝が好きだ。過剰さと欠乏のアンバランス、暴走ぎみ自爆ぎみの愚かさに共感する。 自伝だけでなく「夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎」斎藤貴男(新潮社)のような、他人が本人の見栄や履歴詐称をとっぱらった評伝もおもしろいです。 梶原の人生の最大のクライマックスは、劇画原作者としての成功ではなく、大山倍達との出会いでしょう。大山は、国内で邪道ケンカ空手と理解されずにアメリカでショービジネスを嫌々行い、一財産築いて日本に帰ります。豪邸でひとときをすごす大山でしたが知人の借金保証人になったことから、丸裸になってしまいます。 梶原が出会ったのは、そういう時期の大山でした。 この時、梶原は本気で怒ります。誠実で強く、自らの信じた道のみを進んできた男が、なぜ丸裸にされてさびしそうなのか? 世の不条理に、義侠心を燃やすのです。 そして、大山の人柄や空手家としての優秀さ、梶原の広報能力・経済手腕の二人三脚で、極真会館は公認支部127ヶ国に持ち、門弟1千万人の大組織となります。 大山の空手はそもそも偉大だったのでしょうが、極真の組織が強大になったのは、ひとえに梶原の功績だったと言っても過言ではないでしょう。 その梶原と大山がなぜ決別したのか? 興味があるなら、皆さん自身で、自伝や評伝を読んでください。 |
| もう一人の力道山 リ・スンイル 小学館文庫 |
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千葉県八街の”妹”きみ江は、力道山の家のプールで大喧嘩した記憶がある。
久しぶりに力道山を訪ねたきみ江が、力道山自慢のプールを見ていると、そこに土産物だという時計をもって主がやってきた。 「おい、きみ江、この時計が欲しいか」 「え、私にくれるの?」 「欲しいか、だったら自分で取ってこい、ホラ」 喜ぶきみ江を前に、力道山はその時計をプールに放り投げてしまった。 「何するのよ!」 「おまえが取ってくりゃ、やるぞ」 「イヤだよ、なんで私が取ってこなきゃならないのよ」 あまりに横暴な力道山に向って、きみ江は食ってかかった。当時の大スター力道山に向って対等な口を利ける人間はごくわずかである。周りにいた側近たちも、天下の力道山に文句を言う女がいると驚かされたという。 |
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力道山とは相撲の四股名である。本名は金信洛(キム・シンラク)。現在の北朝鮮の出身。 曽根は、情報という権力、メジャーであることのチカラを考える場合、力道山をはずせない。 なぜなら、日本においてテレビ業界というマスコミを成立させてしまったのは、「外人をぶちのめせる日本人」をプロレスで演じた力道山だったのだし、有名人という言葉は、力道山のためにあった時期があるからだ。曰く、力道山は「天皇の次に有名な日本人である」と。 ワカモノに影響力ある芸能人・文化人、とかの影響力とは、どのくらいの力なのか? 少なく見積もっても、いまメディアで活躍している有名人は1000人をくだらない。その1000人がひとつにまとまり、ある意志を示したら、社会は変わるのか? いや、その1000人をよせあつめた以上の有名人で、カネも政治的なコネも、アントニオ猪木に代表される暴力組織(笑)=門弟すらも持ち合わせた朝鮮人が、かつて日本にいたのだ、力道山である。 力道山は文化人としても超一流です。まず、当時の朝鮮から日本の角界に入り活躍。国籍差別がなければ、まちがいなく親方になれたでしょう。戦後直後アメリカでプロレス修行。国際化もモンクなし。GHQの指導のもとプロレスを文化的・産業的に成立させてしまう。事業家としてもモンクなし。アカデミズムとも無縁で、天皇関係のクンショーからも遠かったでしょうが、金日成テンノーからはいくらでもクンショーがもらえた位置にはいました。 今、社会を変えたくて、自我を社会に訴えたくて、有名になりたがる馬鹿が腐るほどいるではないか。彼らが目指しているのは、力道山が座っていたイスの、万分の一の大きさのイスなのだ。 で、その力道山がどの程度のことができたのか? 彼の権力の背景はなんだったのか? そして、彼自身は幸せだったのか? そのほとんどを網羅した伝記が、リ・スンイルの本書である。在日朝鮮人、相撲という差別、テレビ業界の成立、日本におけるプロレスの成立、南北朝鮮、現場とプロモーター、メジャーという権力、などなど本書が提示することがらは、とても根が深く大きい。 とどのつまり「強くなること(まっとうな努力で立身出世すること)で人間はすくわれるのか?」「強さってなんだ」という哲学のモンダイにつっこむので、今は、これ以上は踏み込みません。 若き金信洛が日本に渡り、相撲部屋に入門した直後、世話になった鈴木福松という人がいた。戦前から朝鮮人を差別せずに自分のところで働かせてもいた資産家で、大の相撲ファン。ふんどしかつぎだったころの力道山を息子のようにかわいがった。事実、ホームシックぎみの力道山に「ワシをお父さんと呼べ」と言ってくれた大恩人。福松の奥さんは、母親がわりに力道山にこずかいもあげていた。 鈴木きみ江は、福松の娘。ちいさいころから力道山を”兄さん”と呼んで育った女性だ。 「きみ江はその応接間について、”成金丸出しで趣味が悪い”とはっきり言った。初めて言われるそんな言葉に、力道山はため息を漏らしすっかりしょげ返っていたという」など、富と名声の絶頂にいた力道山の御殿を嫌った、センスも良ければ育ちもよいお嬢様。彼女くらいしか力道山には、心をゆるせる人間がいなかったという。 では、なぜ力道山は、引用部分のような、投げ捨てたプレゼントを拾ってこい、などとヒドイことを”妹”に働いたのか? 「あの頃、私は知らなかったんですよロレックスなんて時計。普通知りませんよね。力道山はね、私のために買ってきたその完全防水の時計をプールに入れて、驚かせようとしたんですよ」 と、”妹”は「気が短くて、見栄っ張りで、計算高く、そして同時に人一倍照れ屋な男」を、ふりかえっている。1959年ごろの話である。 |