※「エヴァ」から「王立宇宙軍」に入る人のために

●通底するモチーフ:(3)文明観と宗教観  「王立宇宙軍」から「トップをねらえ」、「ふしぎの海のナディア」ときて 「エヴ ァンゲリオン」 まで通底している思想は、かなり乱暴に一言で言ってしまえば 「現実肯定」である。微分して細かく言えば 「人間は、人間の文明は卑小な物で しかない→しかし、ンなこたぁ分かってる。もういい。現に我々は生きている、 だからこの現実を肯定する」というものだと言えるだろう。  この前半部分しかないのが、悪しき80年代止まりの思想って奴だった。 「人 間は所詮卑小な存在なんだよ」「人間は無力で、エラそーなこと言ってる政治家 も学者も親も教師も大したことなんだぜ」ってな物言いで、そんで自分が「何も しない」 ことを正当化する、「人間は卑小な存在だ」ってことが分かってるだけ 自分の方が高みに立ってる、ってな安心感だけは拠り所にしつつ、テメェは世 の中に責任意識は一つも持たずに口先だけ大人を批判して、その大人が作って る資本主義消費社会のアブクだけは喰らって遊んで生きてる……これが 「80年 代」 の最悪の部分だ。ちょっと待てよこら、お前ら偉そうなこと抜かしてっけ ど、そりゃ今すでにある社会のシステムにタダで乗っかった上でのことだろ、 だったらお前も今ある社会システムの共犯だろが (アメリカの「ユナボマー」み たいに山奥に引きこもって自給自足で生きるのを別とすりゃ) 、だったらきち んと責任意識は持てよな、と言いたい。  この病は少なからず「おたく」の一部にも見受けられる、オウムなんてのはモ ロにそういう集団だったって言えるだろう。そういえば余談ついでだが、なん か最近オウムが復活しつつあるんだってぇ? まぁ主要な幹部はみな塀の中だ し、今オウムに残ってる連中なんざ、本ッ気で 「今の世の中は間違ってる!  我々が現状の社会を破壊して美しいオウムの千年王国を建設する! 世界を革 命するために!」 とか言える確信犯なんかいないんじゃないか? 文明社会に 背を向けたつもりになって (その実、文明社会の恩恵を受けなきゃ生きてけな い) 仲間内だけでヨガでもやってずっと楽しくモラトリアムしてたい、そんな 連中だろう、なら大して実害もねぇだろうし、勝手にやってれば、って感じな んだが、ただ俺が「お前らいい加減にせぇよ!」とか思ったのは、何でもこの残 存オウムの連中、布教宣伝活動に当たって、オウムだと名乗らずに 「エヴァン ゲリオンの上映会」 に名を借りたイベントをやってんだと? くぅーっ、何考 えてんだよこいつら? まぁそれを言うなら、オウムみたいな連中に悪用され る隙のある作品作ってる方にも手落ちはあるんだろうけど、そんなのに騙され て入信しちまう奴(本当にいるのか?)もかなりアホだと思うぞ、俺は。  いきなり余談が多くなったが、実際うがったこじつけ抜きに、「王立宇宙軍」 から「トップをねらえ」、「ふしぎの海のナディア」ときて「エヴァンゲリオン」ま でGAINAX作品の文明観、宗教観みたいなものには通底している要素があ るように感じられる。  「王立宇宙軍」では、この物語世界では最高の科学技術者集団でしかも軍隊で 更に言えば国家権力の手先の(ひどい設定だな)宇宙軍に属する主人公シロツグ と、ほとんど文明生活の恩恵を拒否して孤児のマナと二人っきりで世捨て人の ような生活を送りながら宗教のビラを配るリイクニ、という対比が描かれる。 リイクニの信奉するオネアミス先住民の宗教は明らかに文明を否定している。 火はもともと人間が神から盗み取った物である、それは災いを為す物でしかな い、「悪から生じた物は決して善に転じることはない」。ロケット開発のさなか、 弱気になったシロツグは救いの言葉を求めてリイクニにもらった教典を開くが、 そこに彼を安心させてくれる虫のいい言葉なんかなかった。むしろ完全に逆、 「お前のやってることは悪なんだよ」っていう脅迫の言葉があるだけ(笑)、きっ つー。そう、神サマが人間の味方である保障なんか無い。自分のやってること が神サマに誉めてもらえることなんて保障もないのだ。  シロツグはリイクニに言う 「君は何でも否定するんだな」「こんなに便利にな ったじゃないか」「もっといい加減で良いんじゃないか」 と。するとリイクニは 冷たく答える「あなたの言う『いい加減」が世の中をこんな風にしてしまったん でしょう」 と。シロツグはリイクニの意思に堅さに釈然としないまでも、かと いって正面切ってリイクニの全てを否定できない。そうだ、シロツグもどっか 後ろめたさを捨てきれないのだ。まぁそりゃシロツグは苦労知らずで主体的な 意思もなくほけーっと生きてきたのに、リイクニはこの年でまだ幼いマナと二 人だけで自ら好きこのんで苦行の生活送ってんだから、 「俺に偉そうなことが 言えるのか」なんて思いもするわな……。  悩み込んだ末にシロツグはマティに聞く 「もし、現実が一つの物語だったとして……もしかしたら、自分は正義の味方 じゃなくて、悪玉なんじゃないかって考えたことないか?」 答えるマティ 「さぁな。ただ、周りのやつら、……親とか、みんな含めてだ、そいつらが、 俺をほんのちょっとでも、必要としてくれているからこそ、俺はいられるんじ ゃないか、と思っている。この世に全くの不必要なものなんてないのさ。そん なもの、いられるはずがない。そこにいること自体、誰かが必要と認めている。 必要でなくなったとたん。消されちまうんだ。そう思う。…どうだ?」 シロツグは「うん、分かった。ありがとう」と返す。  言うまでないことだが、これも一つの暫定的な見解でしかない。でも、ひと まずシロツグはロケットで飛ぶことを選ぶ。リイクニとのすれ違いはすれ違い のままだ、結論は出ていない。だが、これが「王立宇宙軍」という作品の精一杯 の誠実さだと思う。  続く「トップをねらえ」では、物語前半であんだけバカやっておきながら、後 半になっていきなり、主人公達は地球人類を脅かしている宇宙怪獣を始末して いるつもりだったんだが、どうも敵から見ると地球人類こそが宇宙の害虫であ り、向こうこそ害虫駆除をやってんじゃないか? ってな設定が出てくる。敵 は言葉を喋らない異生物だし、意思があるのかもわからない。ただはっきりし てんのは、何もせず黙ってたら、こっちはやられて死んでしまう。人類はみな 滅んでしまう、ってことだけだ。人類が生き延びるためには、敵の巣である銀 河系の中心部を丸ごと消滅させるしかない(!)、そこで当然出てくる 「人類が そんなことやっていのか?」ってな問いには、こんな答えが用意されてる「そん なこたぁ生き延びてから考えろ」と。  「ふしぎの海のナディア」では、シロツグとリイクニの対立点は、形を変えて ジャンとナディアの対立点に引き継がれている。と言っても当然、山賀カント クと庵野カントクの資質の違いってのが根本にはあるが。ジャンは穏和なお人 好しの苦労知らずでのーてんきに科学文明を礼賛し、古代アトランティスの遺 産・ノーチラス号のテクノロジーに目を輝かせ、機械いじりに励む。一方のナ ディアは、非業なオヤジのせいで(笑)サーカス一座で不遇な幼少時代を送り、 人間を信用せず、肉は喰わず、文明を否定し、自分が殺られそうになっても戦 いを否定する。この物語ではリイクニばりに「何でも否定する」ナディアが他者 を受け入れ成長してゆく過程が描かれるわけだが、この作品の意地の悪いとこ ろは、ある意味じゃ「正義の人」である筈のナディアの方が世間を狭くしていて、 それが明らかに自業自得であると描かれてる点だろう。しかし、この作品自体、 あとこのアニメ史上最悪に性格の悪いヒロインが今もなお「アニメージュ」誌上 じゃ絶大な人気を誇り続けていることは注目に値する(笑)、いや、皮肉や嫌味 抜きに。  でもって「新世紀エヴァンゲリオン」だ。愚妹な人類への神罰としてのセカン ドインパクト(実はこれも神の業を盗もうとした人類の身から出た錆だ)、正体 不明だがとにかくバカ強い、人類を脅かす「使徒」、弱っちい人類が精一杯の小 細工で作ったハリボテの穴蔵、第三新東京市と地下のネルフ本部、繰り返され る戦闘と死の恐怖、そして「人類の補完」という盲目の希望……とにかく 「人間 なんて、人間の文明なんて本当に卑小な物でしかないのだ」 ということがこれ でもかと言わんばかりにしつこく描かれる……いや、考えても見たら、そうい うのって昔の古典SFの常套手法だったような気もするな。ヴェルヌやウェル ズの時代、19世紀末(近代思想と科学文明礼賛の時代)からSFってのは文明批 評だったからね。  自分が生き延びるために敵である「使徒」の力さえ、ワケも分からずそれが危 険な物だと分かって自分の側に取り込もうとする人類、そうした描写は究極的 には「俺たち生きてていいのか?」ってな問いに行きつく。しかしこれは人類始 まって以来の問題で、永久に結論も出ないだろう。ともあれ、うっかり智恵の 実を齧ってしまった人間はもう原初の楽園(というのは無知の状態だ)には帰れ ないわけだ。そーいや、さる人物が言ってたな 「ストレスがすべてなくなって しまったら、そりゃ『ボケ』だ」って(笑)  歴代ガイナックス作品は、いずれも、近代文明の害毒を自覚しつつしかし責 任意識を持ってそれを肯定する、という文明観に支えられてきている。しかし 振り返ってみると「王立宇宙軍」→「トップをねらえ」→「ふしぎの海のナディア」 →「新世紀エヴァンゲリオン」と進むにつれて、作中に描かれる 「目の前の文明 の恩恵」と「その影にあるダークサイドの重み」 の落差が激しくなってきている (人類の文明への懐疑や絶望が深まってる?)ようにも見えるのは少々キツい。 まぁこれは現実の世界がそんだけテクノロジーだけで輝かしい未来が得られる のか? と揺らいでいるのを反映しているワケでもあるんだろうが……。  考えてもみると、これは庵野カントクもNHK教育の番組で語ってたことだ が、ガイナックスのスタッフたちの世代(1960年前後生まれ)ってのは、小さい 頃に戦後の高度経済成長期の進歩神話 (「少年マガジン」「少年サンデー」カラー 口絵の小松崎茂の描く未来世界!) ってのを刷り込まれてきながら、それが成 長し行く過程で、やれ公害だ連合赤軍事件だオイルショックだヴェトナム戦争 によるアメリカの失墜だ、といった物を見せられ、「進歩」や「文明」への幻滅を 味あわされた世代でもあった。と、当時に、彼らの親の世代というのは、多く が敗戦直後の貧困のさなかに幼少期を送り、裸一貫から戦後1950、60年代の高 度成長期を築き上げ敗戦国日本を世界に冠たるテクノロジー大国にのし上げた 世代で 「そんな親父たちからみりゃ俺たちゃ消費しかないナサケナイ世代なん だ」 ってな思いもあったかも知れない。だが、だからこそ、そんなプレッシャ ーを跳ね返すべく、借り物の思想ではない自前の言葉で自分らの現実を肯定す る表現を作り出そうと模索してきているようにも思える。  「王立宇宙軍」の中で、職人気質の高度経済成長期オヤジであるグノォム博士 は、苦労知らず世代のシロツグに対し自信たっぷりにこう言ってた 「工業をバ カにするのか? 工業が集中する富を分散させたんだぞ」と。  「王立宇宙軍」の物語の舞台は、現実の世界で最初の有人宇宙ロケットが開発 された1950年代を意識しているが、この1950年代というのはけっこうポイント だ。世界的にみても、50年代までってのは、まだかろうじて前世紀以来の近代 科学文明バンザイのイデオロギーが生きてた時代なわけである、が、1960年代 に入って以降、環境問題やら核の脅威やらが叫ばれ、「自然に帰れ」なんていう ヒッピームーブメントも出てくる。そう考えると50年代の気分を描くってのは 退行じゃないか、文明の害毒を知らずにのーてんきでいられた時代が懐かしい って抜かすのか? とも言われそうだが、一回転したところで現実を肯定する のがこの作品の試みなのだ。その意味で、敢えて1950年代を意識した意味は大 きい。  思えば、80年代、戦後の高度経済成長期が一段落し、汗臭い建設の時代は終 わり、これからは面白おかしくお気楽な消費の時代だ、ってな気分が漂う中、 「ポストモダン」なぁ〜んてことがしきりと言われたが、それは結局 「近代の建 設期は終わったんだ」 と、近代文明の結果の部分にだけはただ乗りしといて口 先だけその批判を抜かす無責任な連中を多く世に生み出してしまった。そんで、 その中から「近代科学文明はもう行き詰まった、これからは超能力だ(「気」でも 「波動」でも「脳内モルヒネ」でも何でもいい)」とか抜かして一気に退行するオカ ルト屋とか宗狂屋とかが出てきたわけで、オウムもそこに無自覚に乗っかって 出てきてるってのが見え見えなわけである……ってところで冒頭の余談に話は つながる。「王立宇宙軍」って映画は 「そんな口先だけの文明批判とかで何もし ない言い訳してるお前らこそ『何を今さら』なんだよ」ってことを突きつけよう とした作品なのだ。
 今のところ自分が「エヴァンゲリオン」と「王立宇宙軍」を結びつけて言えるご たくやへりくつは、こんなとこです。あとは劇場で、あるいは自宅のTVモニ ターも前かパソコンモニターの前でご自分で認識して下さい。それでは。


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