■過去商業原稿  
 
書評『電波男』本田透
  (初出:『TONE』第二号(2005年6月)ユニバーサルコンボ)

 
  非モテ男の男らしさ――だが、弱者=正義じゃない
 本田透『電波男』は不思議な本だ。一見『電車男』に便乗したかに見え、根本からそれをひっくり返すかのように、オタクなら人格評価抜きにキモがられ、結局イケメンばかりがモテる現実の恋愛至上主義をキッパリ否定し、二次元萌えオタこそ正義! と堂々とマニフェストする同書は、本年前半あちこちの書評で取り上げられたが、穏当な賛辞以外は黙殺しか目に付かない気がする。
 誉めてる人の多くは、率直な「よくぞ言ってくれた」という快哉か、「しょせん俺はそこまで不幸な非モテ男じゃないから」という本音を隠した他人事の上で、主張の中身はともかく筆者の気迫の真摯さだけは評価、そんなところしかないように感じる……それで良いのか?
 確かに俺も、80年代バブルの「高級車・高級ブランド品持ってる奴だけが正義」みたいな空気、とんねるず的なバカ明るい「ノリの強要」ファシズムには本当に疎外感を味あわされたさ、気持はよくわかる。だが同感できる部分も多いからこそ、ツッコミたいところも多い。キモメン非モテ男の主張だけ繰り返して、自分を性的対象としてしか見ない男に嫌悪を抱く女の側の心理への想像力はゼロかよ、『電車男』で真に感動的なのは、掲示板で電車男を励ました無数の無名の「毒男」(独身非モテ男)たちだってのは同感だが「オタク男は本当は優しい」と自分から言って同情を求めた瞬間に不純になるんだよ、つまりストイシズムとダンディズムがない。何よりなんで怒りの矛先が「イケメンのモテ男」より「オタク男をいじめる負け犬女」ばかりに向かうのか、弱者が弱者をいじめてちゃ、サエない白人がKKKに入って黒人いじめるのと同様に情けないぜ。モテない男(俺もさ)は確かに弱者・被害者だが、弱者=正義じゃない。宮崎勤が逮捕された時は、俺は、世間のオタクバッシングよりまず先に「アニメや特撮が好きな人に悪い人はいない」って思いが壊されたことが悲しかったよ……。
 今年は多分「ダメオタク男本」の当たり年なのだろう。
 エヴァンゲリオンの監督庵野秀明の日常を妻の安野モヨ子が描いた『監督不行届』は、食事も衣服も無頓着で、フィギュアとDVDまみれて暮らす「カントクくん」の幼児性丸出しぶりに、ただ脱力させられる。しかし、庵野は一度本音を全部吐き出してアニメ製作バカ一代の代表作を一仕事やりあげた後、まったく率直な自己肯定に回帰したという次第ゆえにか(いい気なもんだとは思えるが)もう恨みがましさもなく、嫌な感じもない。
 やはり既に書評でよく取り上げられている、吾妻ひでお『失踪日記』は、いわば「萌え」ロリコン漫画家の元祖たる吾妻が、ストレスから漫画家稼業を放業していた期間の放浪生活とアル中闘病記を赤裸々に描いたものだ。ゴミ箱を漁り、ありついたガス工事の仕事でどつき回される自分を淡々と突き放して描いた筆致は、社会に適応できないダメ人間なりの、悟りの境地のようにも見える。
 吾妻は勝てようない世間と「戦う」より「降りる」ことで負けを回避して気楽になった。これも手だ。本田は「二次元オタこそが偉い、カッコよい」という価値反転の革命を唱えるが、そういう発想が、逆説的にまだバブル世代の競争原理に呪縛されてるとも言えないか?
 それでも、本書後半の本田自身の率直な過去の告白には、彼がこの主張を行う資格あることは認めていい。
 今後、オタクと非オタのボーダレス化(実際、生活のため仮面社会人に順応した中間オタク層こそ多数じゃないか? 俺もさ)が問題を曖昧に消し、本田がピエロに祭り上げられたたま、より若い世代に取り残されないことを願う。怨恨もまた、生かし方次第じゃ創造の源さ!
しろはた(本田透公式サイト)
吾妻ひでお(公式サイト)
庵野秀明 (公式サイト)
 
 
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