■過去商業原稿  
 
「戦う女」エマとレコアは「負け犬」の夢を見たか?
  (初出:『Zガンダムヒストリカ』03号(2005年7月)講談社)
  『機動戦士Zガンダム』劇中のキャラクターや出来事を、同時代の現実世界のトピックにからめた「コラム現実認知」というシリーズで書かれた。この回のお題は『Zガンダム』の女性キャラクター、エマ中尉、レコア少尉と、80年代フェミニズムについて。

 
 

  仕事(戦争)だけに生きられず女としての充足も求めたレコアと、彼女を同じ女性として嫌悪したエマ、彼女たちがもし生き延びて、20年を経ていたら、どうなっていただろうか……
『Zガンダム』が放送された1985年とは、戦後日本のフェミニズム潮流において重要な年だった。国連では女子差別撤廃条約が採択され日本も批准、さらに日本国内では男女雇用機会均等法が成立し、土井たか子が社会党(当時)委員長に初就任した年でもある。女性の社会進出の拡大を実現したのは、男性中心の肉体労働からサービス産業中心の社会へ、という産業構造の変化と、それに伴う高学歴社会化だった。
――だが、80年代末期頃から、女性の幸福はやはり「自立」より、「消費」や「家庭や男性との関係」ではないか、と風潮は切り替わってゆく……。
 仕事はできるが未婚の30代女は社会の「負け犬」なのか? と問うた2004年のベストセラー、酒井順子の『負け犬の遠吠え』に先駆けること15年、1989年刊行の『クロワッサン症候群』は、80年代を通して女性の自立とキャリア志向を謳ってきたはずの『クロワッサン』誌が、女性の幸福はやはり家庭にあり、と変節した結果、取り残された読者の心境を描いて話題を呼んだ。
 後付け的に言えば、80年代のフェミニズムを堕落(?)させたのは、80年代後半のバブルだったのかも知れない。当時は企業に余裕があったから、従来はお茶汲みか、男性社員の結婚相手候補程度の扱いだった女子社員を大量に雇用し、経費で飲食に誘ってちやほやすることが広まった。また、高級ブランド品や海外旅行、グルメなどの消費にいそしむことが「イケてる女」の象徴のようになり、それこそ「主義者」と呼ばれたエマのように、仕事一筋で自己を高めることに集中するのは、いつしかダサい生き方となってしまった。
 それに、女性の皆が皆エマのように優秀になれるわけでもない。戦士となるには甘さの残るファや、頑張っている自分を見てくれる男を求めていたレコアのような女たちだって、彼女らなりの幸福の形を探して良かったはずだ。
 職業の上での優秀な女性の受け皿はかつてに比べれば改善された。それでも「負け犬」と呼ばれる女性が発生するのは、家庭や私生活面での受け皿としての男の側の問題もある。あまりに優秀な才媛は敬遠されるし、優秀な女性は、自分につり合うだけのレベルの高い男性を求めるから、自然に(?)高望みになり、結局、優秀な女性ばかりが残るという皮肉な逆説が生まれる……実際エマはヘンケンごときにはいまひとつつれなかったし、その一方シャアもシロッコも、結局自分で御せる女しか側に置こうとせず、自ら一国一軍を率いられるハマーンは孤高だった。
 結局、男は女子どもを放り出して仕事(戦争)に逃避して自己実現できるが、女は他者との関係性(端的に言えば恋愛)での自己実現を求める、というか、それが女の幸福だという価値観が社会を支配している、という男女の幸福感の非対称性が変わらぬ限り、エマもレコアも幸せになれる社会はそうそう来ない――ってのは、男どもの側の責任もあるってことなのかなあ……。

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