■過去商業原稿  
 
カミーユの家庭崩壊とスペースコロニー化する日本
  (初出:『Zガンダムヒストリカ』02号(2005年7月)講談社)
  『機動戦士Zガンダム』劇中のキャラクターや出来事を、同時代の現実世界のトピックにからめた「コラム現実認知」というシリーズで書かれた。この回のお題は『Zガンダム』の主人公のカミーユ・ビダンについて。

 
 

「主人公の父親に愛人がいる」。1985年当時、カミーユ・ビダンの家庭にまつわるこの設定は、テレビアニメとしては相当にスキャンダラスなものだったはずだ。しかし当時は、「元祖リアル路線アニメ」だった『ガンダム』の続編たる以上、それぐらいの設定はおかしくないだろう、という時代が到来していた。「不倫」という言葉を、ゴールデンタイムのドラマであっけらんと一般に定着させてしまった『金曜日の妻たちへ』(TBS系)が放送されたのは1983年のことだ。思えば、映画『家族ゲーム』('83年)、『逆噴射家族』('84年)など、当時は、家庭崩壊劇がナウい流行……いや、僕らにとってリアルな等身大の現実ではなかったか?
 1980年代、現実の家庭崩壊の背景にあったのは、昔ながらの隣近所や、おじいちゃん、おばあちゃんのいる、地域共同体の解体、産業構造の変化による急速なサラリーマン世帯化と、核家族化だ。地元からは共同意識の基盤が失われ、親は、子供がとりあえず学業さえできていれば構おうともせず、家族はバラバラになっていった。正確には、崩壊もしきらず空洞化というところだろうか。ビダン家もそうだった。
 1984年に刊行された島田雅彦の小説『夢遊王国のための音楽』では、主人公の育った人工的なニュータウンの団地は、「神々が住んでいたという森や谷や荒地に人間族が勝手気ままに捏造したもの」「都会とも農村とも違う」「広大なスクラップ置場」「この(中略)人が住む墓地は急速に日本各地に増殖してゆく」と書かれている。
 かつては新時代の象徴だったはずの郊外のニュータウン団地……だがこの寒々しさは、まさに『Zガンダム』でのスペースコロニーのイメージだろう。
 カミーユは歴史のないスペースコロニーの、しかも軍事基地化が急速に進み、ギスギスとした空気の漂うグリーン・ノアで育った。そこにはもはや、宇宙開拓民のフロンティア・スピリットもなく、生活安定のため権威的な軍隊にも協力する保身的な生き方をしているのは、恐らくカミーユの父ばかりではないことだろうが想像される。
 そこから始まるカミーユの旅は、そんな時代に疑問を抱く富野由悠季監督自身の、新たな家族の共同性(ひいては人の故郷となるべきもの)を模索する旅だったのではないか? 富野監督の小説版『機動戦士Zガンダム』の最終巻の題名は「戻るべき処」、さらに最終章のタイトルは「母」だった……。
 それから20年、家庭や地域の崩壊を促す郊外・地方都市の均質化は、留まるところを知らない。かつて300円のガンプラを買った町の小さなおもちゃ屋が姿を消し、ロードサイドの大型ショッピングセンターや家電量販店のホビーコーナーでガンダムの食玩が何でも揃ってしまう。人と人とのつながりが失われた、のっぺりとした生活環境こそ、子供たちをキレやすくさせ犯罪発生率を高める問題の根源だとさえ指摘されている(三浦展『「ファスト風土」化する日本』)。
 そう、僕らは皆、ガンダム世界の宇宙移民者のような「大地から切り離された民」になってしまった。カミーユは、そして僕らは、どこへたどり着いたのか……。

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