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『機動戦士Zガンダム』が始った当初、一年戦争の勝者である地球連邦政府が分裂したティターンズとエゥーゴの戦いの姿は、現実の第二次世界大戦後、その勝者である旧連合国が米ソ冷戦体制に進んだ構図を思わせた。
しかし『Z』放送当時の80年代中盤、現実の冷戦構造は解体に向かい、むしろ、復古的なイスラム原理主義などが浮上してきた……これを、ティターンズとエゥーゴの二元対立を壊した時代錯誤な第三勢力アクシズの登場に重ね合わせるのはこじつけが過ぎるか?
さらに、時代がひとめぐりした現在、特に9.11以降の世界情勢に重ねて見直すと、ティターンズとエゥーゴ、さらにアクシズの姿は、むしろ、冷戦体制崩壊後、唯一の超大国となったアメリカと、先進国の中でこれに抵抗する諸国、さらに、旧主的な原理主義やテロ勢力の姿に重ねた方が、よりふさわしく見えなくもないのは実に皮肉だ。
さて、ジャミトフやバスクは強硬な保守主義者だったが、その背景には、地球の歴史的伝統や自然を保守するといった意志は見えず、ただ既得権を守ろうとしているようにしか見えなかった。逆に、ジオン復古にこだわるアクシズは、それが却って時代錯誤なパロディじみた政権にしか見えなかった。
現実世界でも、保守陣営にも、それに敵対する側にも、すでに「戻るべき処」の明確な根はない。アントニオ・ネグリらは、現代のアメリカを、世界的な経済グローバリズムによる「帝国」と呼ぶが、文芸批評家の坪内祐三は、アメリカ・ネオコンのイデオローグの祖といわれるノーマン・ポドレッツは、従来のアメリカの伝統的保守論客が、南部農村の伝統文化などをその背景としていたのとはまったく異なり、第二次世界大戦後のアメリカの大衆文化によって自己を形成した、いわば「サブカル保守」だと指摘している。
人々が大地と歴史から切り離された時代を舞台に、形骸化した家庭に育ったカミーユ・ビダンを主人公とし、保守主義者も、それに抵抗する者も内実の不明確な、正義なき戦争を描いた『Z』は、小は家族というレベルから、大は国家というレベルまで、「共同体のフィクション」を信じられなくなってゆく時代を映した物語だったと言えるかも知れない。その行き着く果ては、「万人の万人に対する闘争」状態だ。
そういえば、『Z』放送終了後、現代に普及した、インターネットや携帯電話のようなメディアは、まさにニュータイプのように、個人同士が、いつでも、どこでも他者とつながることを実現した。しかし、一面では、それが逆に、カミーユがハマーンと交感しながらも激しく拒絶されたように、ネット上でのむきだしの憎悪の衝突といった負の部分も生み出し、それゆえ、また一方で、シロッコのように傍観者気取りで人の争いを楽しむようなニヒリズムも生んでいる側面も否定できない。
『機動戦士Zガンダム』は確かに、観ていて快い物語ではない。だが、そんな時代背景も振り返る時、今なお切実なリアリズムを感じてしまうがゆえに、不朽の物語として残り続けているのかも知れない。
機動戦士Zガンダム
(はてな)
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