■過去商業原稿  
 
作家論・島田雅彦
〜今こそ「サヨク」から「左翼」に!〜
  (初出:『別冊宝島 いまどきのブンガク』(2000年2月)宝島社)

 
 

 日本文壇の元祖フェイク王子様
 「左翼」ではなく「サヨク」をあらかじめ名乗った島田雅彦は、徹頭徹尾「わかってますよ。本気じゃないんです。あえてわざとやってるんですよ」という言い訳の人である。
 それは、すべてのことがやり尽くされ「大きな物語」は終わり、何をやっても、真剣にやればやるほどパロディにしかならない80年代という時代の処世術であったが、同時に自らそれ以上の者になれない、という自己の限界をあらかじめ決めてしまう行為であった。
 私が最近最後に島田雅彦が載ってる書物を見たのは、丸一年ほど前に偶然見た『Asahiパソコン』でのインタビュー記事だったが、これが実に島田らしくて痛々しかった。ファンの作った島田雅彦関連のWebサイトで、自分が寿司屋で少々みみっちい態度を取ったとかなんとかの実に些末なゴシップを書かれ、それで傷ついたとか傷つけられた、とかいうのがその内容だったと思う(うろ覚えです。すみません)。
 仮にも純文学の作家サマともあろうものが、たっかが一介の読者のWebでのつまらん噂話にいちいち本気で傷ついてどうする? しっかりしてくれ。ゴシップが常だった坂口安吾や太宰治ならきっと超然としてそんなもん「勝手に言ってろ」と流してると思うぞ。
 しかし、そういう「純文学の作家」ということに居直って尊大になれないのが現代であり、島田雅彦なのだ。そりゃ、うっかりこんな時代に生まれ合わせた気持ちはわからんでもないぜ。文学の権威なんか地に墜ちて久しいし、威張ってもギャグにさえなるまい。
 でもさ、三島由紀夫だって中上健次だって、さらに言えばかのドストエフスキーだって、先行する前時代の大作家と自分を比べ「私はしょせんパロディ、まがい物だ」とか思いながら、でも自分の作品を書いてたんじゃないの? わざとらしい言い訳なんか無しでさ。
 自惚れることさえできない態度は、若い内は「若いのに謙虚」で通るかも知れないが、もう40歳も手前だろ? 結局オヤジにさえなれなかった青二才じゃねぇ……。

ロリコン中年を嘲笑う島田自身の視点はどこに?
 せっかくだから少しは作品にも触れよう。しかし、実は私は島田の作品はほとんど初期短篇数本(芥川賞候補になっては落ちた一群の作品)しか読んでない。 90年代の初めに「80年代前半の歴史資料」として押さえのために読んで「大体わかった」と思ったら、後はもう読まなくていいや、という気になったからだ。
 いちおう、初期の中篇「僕は模造人間」と、最初の長篇「天国が降ってくる」も読んでるけど、話をわかりやすくするためここでは初期短編のことだけ触れる。
 最初の短篇『優しいサヨクのための嬉遊曲』と、B面の『カプセルの中の桃太郎』は、「もはや英雄になれない時代」の古典だ。すべてがやり尽くされてて、何をやってもパロディにしかならない90年代、なお「左翼」であろうとする者は「サヨク」にしかならないと暗示した物語である。
 続く『夢遊王国のための音楽』は「こんな団地生まれのボクはパロディ的存在で本物じゃないですね、ごめんなさいごめんなさい」という愚痴と、元気のでない革命願望の話。
 そんな『夢遊王国〜』のB面にある『スピカ 千の仮面』は、私の知る限り、まっとうな権威あるおブンガクな批評家は「フローベールの『ボヴァリー夫人』やドストエフスキーの『貧しき人々』からのパスティーシュが〜」とかいうことにだけ触れて内容はちっとも論じない。だから私が敢えて内容に触れて批評する、これは「80年代的ゴミ小説として時代資料価値最大の作品」である!
 物語は、自分では芸術を愛するインテリのつもりの時代遅れなロリコン中年と、元祖コギャルのごどきませた生意気ロリータの盛り上がらない『失楽園』。これがサイテーのゴミ作品としか思えんと断言できるのは、書いてる島田自身、この二人の主人公をバカにしつつ書いてるとしか思えんところにある。しかし、どうせ島田は、わざとらしい口調で、作中ボロクソに描いたロリコンの中年のことを「これは僕自身を反映した姿です」とか抜かすんだろう、本当はそんなこと思ってもないくせに。
 そう、島田の初期作品に通底するのは、徹底して、主人公を愚か者として描き、その愚かと描いてみせる筆致に置いて「若者とは思えぬ卓見、クールさ」を演出してみせることであった。だが、それは青年をすっ飛ばして少年から老人になった若年寄な耳年増の知性だ。
 要するに、テメェ自身が身を張って汗臭く暑苦しい体験をして獲得した内実など無く、情報知識だけで世の中を分かった気になってる奴の視点である。そういう早熟クンは転じてガキじみた大人にしかならない、というのが近代の常。

初期短編唯一なさけなみっともなく美しい青春文学
 さらに『亡命旅行者は叫び呟く』は、冷戦下のソ連に観光客として来た二人の日本人、日本資本主義株式会社の典型的社員「キトー」と、無国籍人になりたがってる童貞の心情左翼少年「ワタシ」が対比される。うぶな理想に生きるおぼこくさい「ワタシ」がぼろくそに茶化される一方、金の力でロシア娘をコマす「キトー」も戦後日本人のカリカチュアとして痛烈に皮肉めかして描かれている。
 恐らくは「キトー」と「ワタシ」の両側面を持ちつつ、どちらにもなりきれず揺れてる、というのが島田の本音に一番近いんだろうが、島田はその本音を恥ずかしがってか表に出さず、両極端なカリカチュアにして済ませているように見える。
 とまぁ、島田の初期短篇は延々と「わかってますよ。本気じゃないんです。あえてわざとやってるんですよ」ばっかりで、等身大の島田はどこにも見えず、元気の出ようもない。
 しかし私が敢えて一本だけ絶賛したいのが『亡命〜』のB面に当たる『大道天使 声を限りに』だ。この作品では『亡命〜』では道化役だった「ワタシ」が「キトー」を端にどけて主役を張っている。まっとうに資本主義社会に便乗できる人たちからは疎外され、一方で弱者や被差別者への後ろめたさを抱えつつ生きる「ワタシ」が、放浪の果てに行き着いた大阪の街で在日朝鮮人の女に恋い焦がれつつフラれる、という物語だ。
 その悲喜劇的になさけなみっともない、しかし真摯な姿は、中上健次の小説『十九歳の地図』や、安達哲の漫画『さくらの唄』や、あがた森魚の映画『僕は天使じゃないよ』なんかに通じる、私の好きな「無力な青春」物の系譜に連なる一編だ。そこにはちゃんと、愚直に傷つきながら成長する人間の姿がある。珍しく島田の「本気の等身大」が見えた気がした。
 案外と『大道天使〜』を書きながら、島田は意図せずして、自覚もないままに「ワタシ」に思い入れてたんじゃないか?

青臭い理想主義者でいいじゃないですか……
 ところが、私は後から、実は発表順は『大道天使〜』の後が『スピカ〜』とらしい知った。これを明らかな後退と見なし、以後、島田の小説を読む気が失せた。で、私はそれ以後の島田の作品をほとんど読んでない。今この文章読んでる人に、『彼岸先生』とかのその後の島田雅彦の長篇作品が好きな人がいたらごめんなさい。でも、どうにも食指が働かないものは仕方ないんです。
 で、結局、今日に至る私にとっての島田の印象は、やはり徹頭徹尾「わかってますよ。本気じゃないんです。敢えてわざとやってるんですよ」という言い訳の人、である。90年代はじめの、柄谷行人に引きずられての湾岸戦争反戦声明(結局、死んだ中上健次に責任を押しつけて皆忘れた)にしても、『へるめす』での福田和也との対談で見せてた理屈臭い深刻ぶりっこにしても然り。
 青臭い理想を唱えて真面目に世を憂いつつつ、しかし資本主義社会に便乗してる自分を鑑みて揺れている、というのは別にいいのだ、気持ちはわかるっすよ。しかし、それを表に出すのを恥ずかしがって、一生懸命「本気じゃないんです〜」と言い訳くさく取り繕う姿が、痛々しく、見苦しいのである。
 今や、島田流の80年代的相対主義に裏打ちされた言い訳の処世術は、そこかしこに蔓延した。それこそ、Web上に一山いくらでゴマンといる右や左やオカルト系の論争オタク、またUG系鬼畜バカ、さらにそれらを俯瞰して「やれやれ、ああいう気違いは困るね」と偉そうに評論したがるウォッチャー気取り君、みんな口では「わかってますよ。本気じゃないんです。敢えてわざとやってるんですよ」と言う。
 今やそんなポーズはちっとも先端的でもクールでもなんでもない。むしろ、確信犯の狂信者にさえなれないテメェの弱さをごまかしてるだけじゃねぇか?

今こそ「サヨク」でない「左翼」の見本を見せてください!
 さて、そこで親愛なる島田雅彦先生に提案である。これは皮肉や嫌味ではない、マジな話だ。こんな今こそ他ならぬあなたが、反体制ぶりっこ気分だけの「サヨク」ではない、愚直な理想主義を説く真面目な「左翼」の手本を示してやってはどうですか?
 冷戦体制の崩壊以来、かつてあなたがさんざんこっ恥ずかしく暑苦しく思ってた、先輩格の「大文字の左翼」は今や風前の灯だ。一方、消費文明に甘えた電脳オタクどもが、なんのこたぁない、要は「エロやゴシップの情報を好き勝手にやりとりしたい」ってだけの、つまり単なるテメェの趣味・好み・欲望のためにやってるだけの(正直にそう居直るなら断固同感する、ところがそういう俗な本音を隠して「表現の自由」とか借り物の大義名分をほざくからウソ臭い)盗聴法反対運動やら、児童ポルノ規制法案反対運動ごときを、さも「民主主義を守るための最後の聖戦」のように自己陶酔してるありさまだ。
 そんなイマドキの底の浅い反体制ぶりっこ君には「『ポルノ表現の自由』なんて言うお前らも資本家の犬だ、そんなお前らが南の国々の飢えたプロレタリアを苦しめてるんだ!」と言い、相対主義的ウォッチャー気取り君たちには「お前らなんかちっとも新しくない、お前らみたいなことは私がもう20年も前からやってんだよ」と、言えるのは、島田さん、あなたしかいない。これはマジです!
 こんな今こそ、あの正しくダサい童貞左翼少年「ワタシ」の立ち位置に戻ることが求められているのではないか? スマートな優等生のカルスタ平成フェミ左翼クンなんかくそくらえだ!
 島田さん、今こそあなたが「サヨク」ではない「左翼」の手本を示す時です! そしたら私が、あなたが落とされ続けた芥川賞なんかよりずっと権威ある葦原骸吉賞をあげます! (って、んなもんもらっても嬉しくないか)

島田雅彦 (公式サイト「彼岸百貨店」)

 
 
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