|
ブルーハーツは、80年代も後半に向かう時期、矢沢栄吉をヒーローと崇めるような従来のヤンキー系不良でもなく、サブカル教養のあるニューウェーブ系でもなく、大多数の中間的なマス層の若者に語りかけるロックとして登場した。
それまでになく平易な日本語で、例えば「いつか会えるさ きっと会えるさ そんな仲間に」(街)といった、孤独やそこから生まれる他者と繋がりたい願望、「戦闘機が買えるくらいのはした金ならいらない」(NO
NO NO)といった大人への素朴な反発を歌った彼らに共感していた、80年代後半の多数の中間的な若者とは、どんな存在だったのだろうか?
当時、既に60、70年代的なカウンターカルチャーや学生運動の文化は消えうせ、その後のツッパリ、暴走族ムーブメントも、80年前後頃の最大の盛り上がりを経て(金八先生や校内暴力を思い浮かべて欲しい)沈静化し、番長ヒーローはリアリティを失って極端にインフレ化するかギャグの中にしか生きられなくなった。
そして、日本のほとんどの家庭は中流サラリーマン世帯になり、その子供らはみな順当に進学するのが当たり前となり、中卒、高卒就職や、職業高校への進学はただ汗臭い落ちこぼれと見なされるようになり、そうして受験文化による囲い込みの中で、平和に均一化されていった……。
■若者たちの「繋がりたい」願望
そんな偏差値キッズの大多数は、わかりやすく自分は社会の落ちこぼれだという自意識を持ちえる不良でもなく、さりとて難しい言葉で自己を定義したり世の中をクールに達観できるインテリでもなかった。
だが、だからといって彼らのすべてがまったく何も考えずただ受験勉強とサラリーマン化社会に順応すること、イコール大人になること、に疑問を抱かなかったわけではない。
とりあえず平和な日常はあっても、その中で、いじめやら校則やら学校的社会の束縛はある。また、メディアからは、政治家の悪事やら核の脅威やらといった、順当に学校的価値観の枠に従っていればこそ、素朴に「大人はおかしい」と感じるような情報だって耳に入ってくる。そんな高偏差値インテリでなくても、受験勉強のために与えられた個室やその中で一人で聴くラジカセとともに、そうした中間層なりにも、しっかりと「自分」や「孤独」というものの存在に気づいたり、更にそこから、同世代としての思いを共有できる仲間を求め、漠然と「他者と繋がりたい願望」が芽生えたりしてゆく……
「やさしさロック」のすそ野の広がりの部分、従来のアイドル歌謡曲などから中高生の等身大に近づいた尾崎豊や渡部美里や中村あゆみ辺りを聴いていたのはそんな層であろう。
彼らに対し「誰もがポケットの中に 孤独を隠し持っている」(未来は僕らの手の中)、「いつか会えるさ そんな仲間と」(街)などと歌われた、想像上のストリートの向こうにいる未知の理想の友や仲間については、ただ、わかりあえる仲間、と大ざっぱに語られるだけで具体性はない。
本当に「誰もが」か保証はない、今こう言われて「俺は違うぜ、一緒にするな」と思う人間もいるかも知れない、だが、少なくとも当時のリスナーには、それをいちいち確かめることはできなかったし、だからこそ、孤独を抱えているのは自分だけじゃない、だからストリートには未知の仲間がいる、という夢が成り立ちえた。
■モラトリアム、市民運動、宗教……
実際、ブルーハーツと一連の「やさしさロック」の時代というのは、反原発やボランティアなどのカジュアルな市民運動や、オウム真理教や幸福の科学のような、明確に若い世代特有の仲間を求める意識や超越願望に訴えた宗教団体などの、「行動による自分探し」の運動が目立って普及した時期でもあった。そんなこの時期に作られたブルーハーツのファンクラブが、当初「ブルーハーツと事を起こす集団」(のち「ブルーハーツ集団」と略)と名乗っていたことは象徴的だ。
「事を起こす」といっても、それは単純に昔の学生運動のような、社会変革ではない。だが、漠然と何か多くの人間と事を共にしたいという意志、つまり自己充足のための社会参加欲求、自分はただ孤独で無力ではなく、「大きなもの」「人の群」につながっているという安心感への希求がうかがえる。
バブルへと向かうこの時期は、日本全国で急速に、若者が都会で一人で生きるための装置が充足した頃でもあった。ちょっとした小都市、特に一人暮らしの若者がよく住む学生街の近くなら、国道沿いのファミレス、24時間営業のコンビニ、レンタルビデオ、CD屋、鉄筋コンクリートにフローリングの若者向け安マンション、といったものが普及したし、各種のサービス業が充実したため若者のアルバイト先も増えていた。
それはミもフタもなく言って、学歴の半端なフリーターや、ミュージシャン志望のプータロ的青年が大量に出現し得る環境ができあがったってことである。もはや、それこそ暴走族の決め台詞のように、ただ20歳を過ぎたり、あるいは親元を離れたり就職すれば即大人、という時代ではない。かつてであれば、とにかくまず「食える」「一人前になる」ということが大前提で、生活に手一杯だったような若者(それこそ坊主頭の体育会系やガテン系の人間にだって)の日常にも、モラトリアムがあるゆえに「自分」や「孤独」と向き合う契機を与えたともいえる。
■甘えた淋しがり屋たちの下からのファシズム
そして実際、ブルーハーツの周囲には多くの人間が集まった。ブルーハーツに自分の素朴な孤独感や反抗心をやさしく肯定してもらったつもりの、自分の善意を疑わない、実は甘えた虫のいい若者たちも。
さりとて「今夜僕は叫んでやる 王様は裸じゃないか」(裸の王様)と歌った彼らは、別に決して自分たち自身が王様になりたかったわけではなかったのだろう。逆にいえば、自分を支持する愚民大衆の期待に答えて皇帝になったナポレオンのような確信犯的強さに欠けていたともいえるわけだが。
そりゃ、パンクでもロクデナシでも、人間なんだから本音を言えば嫌われるよりは好かれたいさ。人気者にはなりたかったろうし、いい人とも言われたかったと思う。
ブルーハーツと当時それを支持した人々の素朴な願望は、結局のところ、誰も傷つけず自分も傷つけられず、和気あいあいと、自分を肯定してくれる人間との気持ちよい空間を得ることだったんだろうと思う、かくいう私自身もそうだった。
だが、そうありたいと思えば、無意識のうちにも、相手と衝突することがないよう曖昧な距離感を置き、八方美人とならざるを得ない。
自分はどんな人間は好きだが、どんな人間は嫌いかをはっきりさせることは、自分のエゴを直視することになる。それを具体的に言わなければ、自分からすれば、当初のごく素朴な意図を超えて、勝手な善意の勘違い、都合よく解釈して甘えた人間も寄ってくる。
後に「平成のブルース」や「イメージ」や「期待はずれの人」で歌わなけれなならくなったような、ブルーハーツを甘えた自己正当化の錦の御旗にする善意の付和雷同的観客の発生は、初期の頃から必然的に孕まれていたわけだ。
もっとも、この三曲にしても、そのような事態を招いた自嘲も込められてもいるが、微妙に本質的な自己否定にはなっていない。いや、過去の自分を全面否定しきるのも難しいのもわかるが(だから、虚飾を取っ払い、一対一の私的関係のような形で、素朴な好意は持てても分かり合えない相手との決別を歌った「TOO
MACH PAIN」は美しい曲なんだがね……ブルーハーツは事実上この曲で終わったとも言える)。
ヒロトは95年の解散時、インタビューに答え、ファーストアルバムを出した時は地上から階段を一歩昇るくらいの変化があったが、それから後、アルバムを出すことが初期のような変化でなくなったと語っていた。確かに、「スティック アウト」「タグ アウト」の頃には、例えば2ndの「ラインを越えて」などに漂うようなギラついた感覚は失われ、息の短い、ただその場限りの気分の表明と、少年の頃見た夕焼け空のようなただ美しいだけのノスタルジックな風景ばかりが歌われるようになっていた。それは、誰も傷つくことのない世界を求めた帰結だった。
■「孤独」な僕らの行き着いた先
90年代に入り、ブルーハーツが褪せていった過程とは、冷戦とバブルの崩壊後、なし崩しに「人それぞれ」と価値の多様性が認められるようにはなったが、それはつまり、かつての保守的な大人像とかの「巨悪」は失われ(総理大臣が自ら若者に媚びる時代だぜ)、善悪が明確にわからない万人の万人に対するミクロな闘争状態になったということだった。
決して目の前にいる具体的な人間への憎悪は語らない、どこかにいる大人を悪者にして、自分自身の善意を疑わないことのツケは意外な形で回ってきた。
どうも、現在も当初と変らぬままファンであり続けている、あるいは近年新たにブルーハーツのファンとなった若い世代の素朴な人々には、「平成のブルース」や「イメージ」で歌われた感覚をついぞ理解できない(理解したくない)人々がいるようだ。そういう人々にとって、河ちゃんと梶くんが宗教に行っちゃったことは直視できないタブーらしい。
僕が言ってやる、でっかい声で言ってやる。
ブルーハ−ツの中で、まずマーシーは、人を傷つける度胸はないが、世の中への違和や反抗心はある気弱な真面目な良い子の意識をすくい取り形にする部分だった。ヒロトは、青臭い大真面目な歌詞を、坊主頭で絶叫口調で歌い、別に自分らはそんな過剰な意味性を売ってるわけじゃない「いやあ、僕不器用っすから(笑)」という感じにはぐらかす(つまり不思議ちゃんってことだが)照れ隠し係だった(それ位彼らも80年代相対主義を一度経由してたのだ)。
一方、屈折の要素が乏しい梶くんや河ちゃんは、明朗な体育会系・ガテン系ノリ、一見怖そうで実はいい人、という部分の担当だったと言えるだろう。
彼ら二人の存在も、ブルハの安心感を担保する上で重要だったし、私も、革ジャンスタイルで矢沢栄吉リスペクトを口にしながらシャイないい人丸出しの河ちゃんや、ごつい外観でトリニダートバコのスティールドラマーへの憧れを素朴に語る梶くんは嫌いでなかった。だが、その、屈折のない「いい人性」が、それゆえ単直にハッピーな状態を求めた結果が、良くも悪くも宗教だったのだろう。
より生きづらい人間ゆえに、わかりやすい救済では解決せず、最低限の自己懐疑はやめられなかった(それも自分の善人性を守るためでもあるが)ヒロトとマーシーが、悔しかったろうことはわかる(ラストアルバム「PAN」、特にヒロトの「ヒューストン・ブルース(月面の狼)」にはそれがにじんでる)、かくて、表層的に仲良くしようとも融和しようもないものに対し「関係ねえぜ」と居直った上に生まれたのがハイロウズだった……この流れ、ファンであればこそ、聞こえて欲しい、あなたにも。
ブルーハーツがメンバーとファンクラブ会員の宗教団体加入の問題を理由の一つとして解散した95年は、オウム・サリン事件の年でもあった。オウム最年少幹部の井上嘉弘は、69年生まれで、尾崎豊(彼はまさに「バンドブーム」終息期の92年に死んだ)を愛聴していたという、まさにバンドブーム世代だった。ブルーハーツ的「やさしさロック」の、他者と繋がりたい願望、素朴な大人への反発を純粋にストレートに突き詰めきった果ての極北のひとつがこうして露呈された。
自分の善意のために人を信じようとするなら、騙されるのも、そのせいで取り返しがつかないところまで行くのもあらかじめ覚悟の上で、ということだろうか。と、言うのも、結果論でしかないが。
■そして現代、彼らの歌った「孤独」はもうないけれど
もっとも、バブル崩壊でイケイケ一辺倒は古くなり、時代はすでに、反抗を叫ぶも自由、宗教に行くのも自由、甘い感傷に浸るも自由、というくらいに、なし崩しに多様性を認めるようになった。いきなりカルト宗教に走るまでなく、「自分」や「孤独」を抱えた中間層の需要に応える「癒し系」とか「自分探し系」の商売も、資本の側によってきめ細かく充実してきた(サイコ系カルチャーは硬軟問わず珍しくないものになったりね)。
人それぞれ、まさに「自殺するのが流行りなら 長生きするのもまた流行」(ミサイルマン)と。
何より大きなものは「他者と繋がりたい願望」をコンビニエンスに充足する装置、携帯電話やネット出会い系の普及だろう。これによって「いつか会えるよ 同じ気持ちで爆発しそうな仲間と」(世界のまん中)、などと思いつめるまでなく、その気になればいつでも、顔も知らない人間と仲良くなり、気に入らなければ乗り換えもできるようになった。かくしてそんな「やさしさロック」の心性は、ある意味現実に追い抜かれたごく自然な風景になったとも言えるのではないか?
87年の「Young and prity」の収録の「遠くまで」には「電話のついてる 車に乗ってる あなたには僕が 僕が見えますか?」というフレーズがある。そう、ほんの十数年ほど前、誰しもが、いつでもどこでも好きに他者と繋がれる装置を持つなんてことはありえなかったのだ。
私は、かつて20歳前後、ぽんと一人で都会に出てきた前後の時期はあれほどよく聴いていたブルーハーツなのに、近年はまったく再聴する気が起きず、単に思春期は遠くに過ぎた、ということを抜きにしても、なぜ今ではあの歌詞にリアリティを感じられないのか? と少し不思議にも感じていたが、その理由の一つはここにあるのかも知れない。
そう、私自身も、バブル後、鬱だろうがオタクだろうが何でもありに許容するまでに多様性を認めるようになった今の世の中にすっかり安住し、「引きこもり」なんて言葉もすっかり普及したけど別にそれでもいいじゃん、逆に、話の合う人間だってその気になれば簡単に見つかる方法はあるだろうし、などとナメて生きている。
だが、私は、ブルーハーツとそのファンたちが当初抱えていた、孤独から他者を求めようとする思い、できれば誰も傷つけまいという思いを、徹頭徹尾、虫の良い偽善だったと全否定しきることもできない。かつて私自身もそうだったわけだし。それに、じゃあ徹頭徹尾他者なんか求めない引きこもりだったり、はじめから遠慮なく人を傷つけまくるのがいいのかよ? って話でもあるのだから。
ともあれ、21世紀の現代とは、ある意味、かつて部屋で一人でブルーハーツを聴いていた者たちの願望が充足された時代ともいえるのだろう。それが良くも悪くどういうものなのか、という判断は、ポスト・ブルーハーツ世代の評価と共にまだ出ていない。
THE
BLUE HAERTS (はてな)
THE HIGH-LOWS
(公式サイト)
|