■過去商業原稿  
 
PANATA『走れ熱いなら』
青春の後、夜明けを待ちながら――
  (初出:『PANTA 走れ熱いなら』ライナーノーツ (2004年7月)フライング・パブリッシャーズ)

 
 

かつて1970年前後頃、日本には「青春」というものがあったらしい。大阪で万博があって明るい未来が謳われたり、若者は髪を伸ばしてビートルズやストーンズを聴いたり、教師やら警察やらのムカつく大人に石を投げたり、結構痛い思いもしたが楽しかったらしい。
本来、青春とは一回性の輝きであって、それには終わりがある。実際、その戦後日本の青春というのも、いつ頃かには終わった。若さゆえの疾走だけでいつまでも生きてゆける人間は少ない、純粋ゆえに生き急ぐ人間であればなおのことだ。かつてジム・モリソンとジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリンは、奇しくも同じく27歳でこの世を去り、後にカート・コヴァーンも27歳で、日本の尾崎豊も26歳でこの世を去っている。
PANTAがその27歳だった1977年3月、前年の『PANTAX'S WORLD』に続くPANTAのソロ活動二枚目のアルバムとしてリリースされたのが、この『走れ熱いなら』だ。
PANTAの頭脳警察は、戦後初めて「若者」が発見され、ロックをはじめとする若者文化が手探りで創りだされ、まだ個々人のエゴイズムを超えて、何か共通の「大きな夢」「大きな正義」が信じられたこの「戦後日本の青春」の喧騒の季節にシンクロするように現れた。
1950年生まれのPANTAは、いわゆる全共闘世代のど真ん中よりはやや下に当たり、1972年の頭脳警察ファーストアルバムは、実は既に運動の最盛期より二、三年ほど遅れているが、むしろだからこそ、「銃をとれ」をはじめとする頭脳警察の数々のナンバーには、敢えて挑発的に、また調子よく、時代の正義に乗っていた不敵さがあった。
だが、祭りの季節にも終わりは来る。74年の頭脳警察ラストアルバム『悪たれ小僧』は「あばよ東京」などの曲に歌われるように、そんな70年前後の青春への訣別の一枚だった。
頭脳警察解散の1975年、ヴェトナム戦争はようやく、南ヴェトナムの「解放」に終わり、反戦を唱えていた多くの人々の意志もやっと報われたかに見えた。けれどその後、76年に毛沢東が死ぬと文化大革命は否定され、更に70年代末にはカンボジアのポル・ポトの恐怖政治が暴露されたり、中越戦争が起きたり、一方で日本国内でも退潮する学生運動は陰湿な内ゲバに向かい、単純な、資本主義対共産主義、体制対反体制、といった図式が通用しない、正義も明日も見えない時代となる。その一方で、オイルショックで高度経済成長も弾け、世の中全体が「大きな夢」を追うことより、人々は、なし崩しの内に、喧騒を忘れ消費文化の爛熟によってポップにこぎれいになった街に、平和と豊かさの中に閉じて安住してゆくようになっていった……
もはや青春は終わり、時代の中に、信じることのできる「大きな正義」は見えない、だが、反抗と疾走が体に刻印されてしまったPANTAは、なおもくすぶったものを抱えつつ、そのはめ所が定まらない……そんな時期ではなかったろうか?
実際、後にPANTAは頭脳警察からHALに至る中間のこの時期を、自らの活動史の中でのエアポケットだと呼んでいる。後々までPANTAソロの代表曲ともなった「屋根の上の猫」「マーラーズ・パーラー」を含んだ前作『PANTAX'S WORLD』は、一面で頭脳警察の延長上という雰囲気を強く持ちつつも(同アルバム収録の「EXCUSE YOU」は頭脳警察解散のライブでも演奏された)、チャーこと竹中尚人をはじめとする多彩なセッション・メンバーを集めた結果、皮肉にもアルバム全体でのまとまりを欠く面もあるが、この『走れ熱いなら』でも「貪欲な試行錯誤と迷走」ともいうべき状態が続いている。
まず音作りもPANTA自身の志向というより、当時のファンクやフュージョン、ブラックミュージックの潮流を意識しつつ、歴年の関西ブルース系人脈を代表する元ソー・バッド・レヴューの山岸潤史(G)、国府輝幸(Key)の二人、ジョニー吉長(Ds)、ロミー木下、鳴瀬嘉博(B)、といった、セッション・メンバーの楽曲が反映されたものになっている。
また歌詞も、後の『マラッカ』の太洋の広がりや『1980X』の無機的で不穏な未来都市のようなコンセプチュアルな物語性が明確なわけでもなく、8曲のうち5曲までが花之木哲(三文役者)、三原元(頭脳警察初期からのナンバーでありながら1991年の『歓喜の歌』で初めてアルバム収録された「最終指令"自爆せよ"」「オリオン頌歌」の共同作詞者でもある)との共作となっている。
だが、それだけにこのアルバムは、当時の、青春が終わりつつ、なおもくすぶったものを抱え、まだ形の定まらない模索の過渡期の素のPANTAと時代とを感じさせるものでもある。
例えば、シングルカットもされた『あやつり人形』は、もっとも初期の日本のレゲエであり、「遠い南の島から 銃声が聞こえてきた」というフレーズには、当時ボブ・マーリイが撃たれたことを背景としているとも言われるが、そんな事情を知らずとも、同曲や『ガラスの都会』を聴くと頭に浮かぶのは、『太陽にほえろ!』や『夜明けの刑事』などの70年代刑事ドラマか、初期のかわぐちかいじや大友克洋や谷口ジローなどの『漫画アクション』系漫画家の作品によく描かれたような、遠くに副都心の超高層ビルを見据えながら、どこか小便の匂いがし新聞紙が風に吹き飛んでいるような新宿の片隅の裏路地あたりを、行き場のないまま彷徨するような感覚だ。
『追憶のスーパースター』にも、うらぶれた風景の中、どこか過ぎ去った時代を懐かしむような郷愁が漂う。また、頭脳警察以来のPANTAらしいアコースティック調のバラード『やかましい俺のROCKめ』には、なおも平穏に馴染みきれない、何か「自分の中のロック」にわけもなく突き動かされ、くすぶったものを抱え続ける思いが、『走れ熱いなら』には、山岸のギターも軽快な文字通りの熱い疾走感が歌われる一方、『いつもの俺なら』には、喧騒の時代を忘れ、虚飾とも見える繁栄の中、すっかりポップにこぎれいになった都会にどこか馴染んでしまってもいる自分自身への奇妙な戸惑いが感じられるようだ。
『人間もどき』は、実は頭脳警察時代からのナンバーだが、それを改めて収録した77年当時という背景、「しらけっぱなしの70年代だってよ」「このまま年をとるつもりかよ」といったフレーズからは、実際の「現人神」とそれを維持させる人々自体への反発というより、当時もはや永遠に死なないかのように見えた昭和の象徴とそれをウヤムヤの内に認める世間に、もう世の中は変わらないのか? と戸惑い苛立つような思いが伝わってくる。
そしてラストに収録された叙情的なスローバラード『夜明けはまだ』の後に来るのが、夜明けを待っていた海、行き詰まりの都会から飛び出した『マラッカ』の太洋の広がりだ。
この後、30代を迎え技術的にも円熟したPANTAは、更に『マラッカ』の太洋から帰ってきた東京を歌う『1980X』以降、今度は時代に合わせるかのように、同時期の映画『爆裂都市』などを思わせる、無機的な未来都市のイメージ(当時は、緩やかな反動の雰囲気とともに「管理社会化」ということが言われた時期だ)の中に、従来の彼自身の不穏なギラついたモチベーションを込めたアルバムを生み出してゆく……。
PANTAは青春の終わった後を、文学や歴史や神話などの豊富なイマジネーションの引き出しから次々に題材を採り、幅広い音楽知識からその時代の最新の楽曲アレンジも取り入れることで、自ら作り出したはずの、前衛、反体制という名の決まりきった形式に陥ることもなく生き延びた。だが、それでいて核心の部分ではしっかり変わらない。調子よく、だが本気で、永遠のやんちゃ坊主であり続けることを許された一人、それが無邪気で不敵な反逆児PANTAなのだ。
実はわたしは、70年代の頭脳警察もPANTAもリアルタイムではまったく知らず、80年代末の再リリースと90年の頭脳警察再結成で、PANTAを「再発見」した世代に当たる。
青春が終わった後の日本は、結局、早熟転じて幾つになっても子供っぽい大人ばかりの時代で、自分もその一人、と自負している。物心ついた頃から、個々人のエゴイズムを超えた、何か共通の「大きな夢」「大きな正義」なんてないし、世の中は変わらないなんて事はもう知ってるけど、そこそこ楽しいものはあるからまあいい、そんな感じの時代だった。
だが、奇妙なもので「戦後日本の青春」を当事者としては知らず、青春そのものにぴんとこないくせに、それが過ぎた後の70年代後半の風景――不穏なギラつきと焦燥感と感傷の入り混じったような感覚には、奇妙なノスタルジーと、今なお色褪せない切迫感を覚える。なぜなら、青春の過ぎた後の風景は「永遠の現在」だからだろうか。
実際、バブル崩壊後、皮肉にも、21世紀を迎えつつ時代は再び、明日の見えない、うらぶれと不穏なギラつきと焦燥感と感傷の入り混じった雰囲気に戻ってきている。正義も未来も見えない時代、人間は成長しない。だが、そんな時代をいかに生き延びたかのひとつの形を、PANTAは示してくれている。PANTAは、今なお古くて最新の「現在」なのである。

PANTA (フライング・パブリッシャーズ公式サイト)

 
 
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