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地域によってばらつきはあるが、かつて、小中学校の年間行事のひとつで、夏休みなどに「平和授業」と称されるものが行われることがあった。教師が絵本の『かわいそうなぞう』を読むだの、学年ごとに揃って『はだしのゲン』の映画を見に行く、だのといったものだ。もっとも、今となっては、受けた事のある人でも「ああ、そんなのもあったか」程度にしか思わぬ人の方が多数だろう……1980年代、もはや実感の霞んだ戦争体験の語り継ぎなどは、その程度のものだった。
と・こ・ろ・が、その80年代の末『となりのトトロ』と同じくスタジオジブリのアニメとして公開されたこの映画作品に関しては、今や誰もが口を揃えて「泣いた」「感動した」と言う……だが待て、この評価も、民主主義とエコロジーを謳ってきたとされるジブリアニメが市民権を得た結果、後付け的に普及したものではなかったか? 現実にはバブルの真っ最中、牧歌的に美化された農村を描いた『トトロ』を楽しんで観た後、か弱い兄妹が戦災の前に一方的に打ちのめされ、まったく何の救いもないまま死に至るこの物語には、途方に暮れるような陰鬱さを味合わされた、というのが、飽食しか知らない当時のアニメ観客の感想ではなかったか?
――そう考える時、とりあえず、結果的には、高畑勲は本当に偉大な仕事をしたと言うよりない。
野坂昭如によるこの物語の原作が書かれたのは、戦後20年を経た1967年のことだった。野坂は後に、現実の自分は当時、空襲を受けた後、罹災証明書をちらつかせて女と遊び歩き、妹などほったらかしにしていたことを真摯に告白している。『火垂るの墓』の清太は死んだが、野坂自身は生き延びた人間であり、野坂は巧妙に過去をお涙ちょうだいの美しい悲劇に改変したのだ。
だがそれは野坂一人だけが責められるべきことではない、気持よく可哀相な正義の被害者の気分に浸れる物語、それが、戦後日本の「ウケる戦争物語」であり、「皆の見たい戦争物語」だったのだ(更にその外には、この05年に公開予定だった本作品を急遽上映禁止とした韓国のように、良くも悪くも「日本人が可哀相な正義の被害者であるなどあり得ない!!」という見解も存在する)。
現実の戦争体験の中では、野坂のように、泣きわめくか弱い妹、傷ついて祖国に帰れなくなった戦友、あるいは己自身の人間性を切り捨てざるを得なかった者たちは少なくなかった。だが、そうしなければ生き延びられなかったのだ。そんな「生き延びた者の罪悪感」は、大岡昇平の『野火』、遠藤周作の『海と毒薬』、高橋和巳の『堕落』ほか、戦後日本文学のひとつの一貫したテーマだったとも言える。そしてそこでは野坂に限らず、自分が直面した現実を完全にそのまま描くことはできず、ワンクッション置かざるを得ない人間は少なくなかった。
野坂は、映像化されたこの作品に激しく涙し、最後まで観通すことに耐えられなかったともいう……。
映画で高畑勲は、意図してか意図せずか、可哀相な被害者は、しかし同時に無知な愚か者であり、だから可哀相な被害者となってしまったことも描いている。清太はかつて満艦飾の軍艦に胸を躍らせ、海軍軍人の父の帰還を信じ、節子だって鉄兜のように鍋をかぶって敬礼ポーズなんかしている。彼ら子供たちも大日本帝国の構成員だった。だが、そこに選択の余地はなかった。清太と節子が大日本帝国の外の現実を想像できなかったように、今日の我々も戦後平和主義の外を想像できなくなっている、だが、選択の余地はあるのだ。そう考える時、この物語は、ただの泣ける他人事の悲劇ではなくなるはずだ。
映画『火垂るの墓』(goo映画)
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