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本2005年2月に急逝した映画監督岡本喜八の幻の次回作は、山田風太郎原作の『幻燈辻馬車』だったという。その風太郎の逝去が2001年。近年、この世代が相次いで物故してゆくのは、必然とはいえやはり淋しい。
現代に生きる我々は、戦争というものを、つい極端に悲劇的一辺倒なものか、あるいは英雄的一辺倒なものにとらえがちだが、戦時下においても、食い、異性といちゃつき、隣にいる人間と瑣末なことで争う「日常」は存在する。むしろそんな日常と、理不尽な死や破壊の充溢する非日常の奇妙な共存こそが戦争状態だということを、喜八の戦争映画と、風太郎の戦中日記は教えてくれる。
喜八初期の代表作『独立愚連隊』(1959年)は、満洲僻地の戦場を舞台に、当人たちは真剣ながら、はたから見れば滑稽な戦争喜劇の傑作だった。だがそこには死と隣り合わせの刹那的な空気も漂い、ラストで壊滅した部隊の生き残りは馬賊になって荒野に消え、後は野となれ山となれ、というアナーキーさとニヒリズムを漂わせる。『肉弾』(1968年)はさらに徹底した「どたばた悲劇」だ。特攻隊員の主人公は、上官にどつかれ、最後の自由外出日に行った女郎屋で散々な目に遭いながらも、紆余曲折の末「俺は、きみを守るために死ねるぞ」と言える相手と出会ったものの、数日後、その相手の少女は空襲であっさり死亡。何のため死ぬのかサッパリわからぬまま、しかし怒りに身をたぎらせて特攻に向かう。そこに描かれるのは、戦争ドラマであると同時に、若くて粋がってても何もできない青春の無力感だ。その一方で、喜八は昭和20年8月15日玉音放送までの24時間を描いた『日本のいちばん長い日』(1967年)、空襲と米軍侵攻で遂に沖縄県民の三分の一が死に至るまでを描く『沖縄決戦』(1971年)のような、膨大な人物が登場する実録戦争大作も手掛けた。特に『沖縄決戦』は、後にしょせんは本土側の視点という指摘も受けたが、学徒動員された少年兵たちの特攻、女学生の集団自決など、充溢する死を淡々と描ききる透徹した視点の徹底は凄まじかった。
風太郎が、昭和20年、23歳の時の自分の日記を刊行した『戦中派不戦日記』(1973年)は、当時の当事者の声だが、これも奇妙なクールさと真摯さが交錯する。3月2日にはB29襲来で試験が中止になり大喜びする記述がある、不謹慎と言うのはたやすいが、若者は当時も今もそんなものだとも言える。だが山田も決して愛国心なき不真面目学生でもなかった。8月、原爆投下、ソ連宣戦におののきつつも、大人たちは頼りにならん、自分たちだけで戦い抜けと真摯な決意を綴る。しかし、その翌日の記述は一行のみ「帝国ツイニ敵ニ屈ス」8月15日である。更にこの前、昭和17年から昭和19年までの『戦中派虫けら日記』(1973年)は、当時の銃後の勤労、交通、食糧事情を精緻に記し、そして何より、戦地に向かう親友との二人きりの別れなど、戦時下でも変わらぬ、しかしやはり戦時下ゆえの青春物語として読む者の胸を打つ。
さて、敗戦後の昭和21年の記録である『戦中派焼け跡日記』(2002年)では、こんな言葉が出てくる。
「五月三十日 人間は戦争などの屍山血河中に身を置くよりは、女房の不義のごとき小事の方が精神的に大打撃を受くるもののごとし」
喜八と風太郎の人間観の前提は、青春期に戦争という巨大な経験ををくぐり抜けてしまった後の、大いなる空虚感ではなかったか……しかし、日常は続く。『幻燈辻馬車』は明治を生き延びた「死に損ない」老武士の物語だった。バブル崩壊以来の微温な脱力感の漂う今日、喜八と風太郎こそ古くて新しい戦中派作家かも知れない。
岡本喜八 (goo映画)
山田風太郎
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