■B級保存版 | ||||||||
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1988年の夏というのは、福岡市で日教組の定期大会が開かれることになっていたわけだが、大会の開催前から、同地にはこれに反対する右翼団体が日本中から膨大に集まってきていた。当時の朝日新聞福岡版の報道によると、93団体、1400人、街宣車その他の車両は350台だったそうである。 で、7月の半ばに入ってからというもの、福岡市内では、もう毎日毎日、連日、何十台という数の右翼の街宣車が列をなして大音量で軍歌を鳴らして走り回り、日教組を罵倒する街宣活動を繰り返していた。 さらには、日教組大会の会場に予定されていた福岡市中央区の大手門会館では、右翼が抗議のため拳銃を発砲し、逮捕されるという事件まで起きていた。 日教組粉砕を唱える右翼の街宣車たちは、どーいうわけだが、福岡市の中心街を遠く外れた、福岡市に隣接する炭坑跡地のボタ山と田んぼしかない郡部にまでやってきた。 ●実力模擬試験 1988年7月17日、福岡市に隣接する炭坑跡地の郡部にある福岡県立場末高校の3年10組の教室では、一学期最後の実力模擬試験が行なわれていた。が、外は右翼の街宣車が大音量で走り回っている。激烈にうるさいので、教師によって窓は閉められた。7月であるから季節は夏、当然暑い。しかも、彼の苦手な数学の時間だった。 試験の結果は満足の行くものではなかった。まあ、騒音と暑さだけが原因ではない、むしろ彼の頭の出来が一番の要因だが、それは考えていない。 彼は、とにかく腹が立っていた。正確に言えば、街宣右翼の騒音は最後の一押しだ。そのころの彼は、もとより(一人で勝手に)いろいろストレスを溜めこんでいたののである。 当時彼は、このままでは近県の国公立大学に合格できるかまるでわからないことにもムカついていたし、自分の父親にも母親にも教師にもムカついていたし、イランやイラクやアフガニスタンでは自分と歳も変わらぬ少年少女が戦争しているというのに自分は自立しておらず両親の許にいるのにもムカついていたし、自分に彼女がいなくて童貞なのにもムカついていた。いや、大部分は当人の責任に帰する問題なのだが、それは考えていない。 そんなわけで、彼はその日、家に帰ると、父親が飲んだウイスキーの空瓶に赤い絵の具で色をつけた水を一杯に注いで蓋をし、それと、自宅の工具袋から取り出したハンマー1本をバッグに入れ、ポケットには幾ばくかの小銭を持って自宅を出た。 で、以後、彼は約3週間、自宅には帰らないことになる。 彼は、途中で100円のライターを1個と爆竹花火を1箱、ついでに小型の煙幕玉花火を少々買い、なぜか『スーパーロボット レッドバロン』の主題歌を鼻歌で口ずさみながら、自転車で福岡市博多区に向かった。 数日前、彼は、福岡市内で、一学期最後の実力模擬試験があるのと同じ日に、日教組大会に抗議する右翼団体の大規模な緊急集会があることを告知するポスターを見かけていた。そこには「大日本愛国党総裁 赤尾敏来たる」とかなんとか記されていた。 彼は、大日本愛国党の赤尾敏総裁という名前は、なんとなく2年ほど前から知っていた。何で知ったかといえば、JR博多駅の近くのガード下などに大量に貼られている、ほとんど誰も見向きしない右翼団体のポスターを何度かちらりと見て知ったわけだ。 もっとも、それで、当時の彼が「大日本愛国党の赤尾敏総裁」という人物について知っていたのは「なんか、右翼のエラい人」という、ただそれだけである。 さて、なぜ彼がこのとき口ずさんでいたのが『スーパーロボット レッドバロン』(1973〜1974年放送。日本テレビ系列)の主題歌かというと、この往年の特撮巨大ロボット番組では「鉄面党」という悪の組織が出てくる。で、「♪未来を夢見る正義には 鉄面党は許せなぁ〜いぃ」というフレーズが出てくる。で、この「鉄面党」という箇所に右翼団体の名前を当てはめた替え歌にして景気づけしていたのである。どうみても小学三年生レベルの思考水準だ。 ●集会場 「おいおい本当に来ちまったよ」大日本愛国党の日教組糾弾臨時集会に会場を提供している博多駅近くのホテルに来た彼は、内心で呟いていた。 会場はごく普通のホテルだったし、集会は入場無料となっていたので、建物には問題なく入れた(つまり、集会への立ち入り自体は、何ら法に触れることはなかったはずである)。 彼はホテルについてから、エレベーターを使わず、非常階段で集会の場となる階まで上がった。脱出路をあらかじめ確認しておくつもりだった(が、無駄に終わる)。 彼が集会場となっている会議室のような部屋の前まで来ると、既に中では演説会が始まっていた。喋っていたのは誰だか知らないが、まあ、赤尾敏ではなかったらしい。 集会場の中にも外にも、上下つなぎの特攻服(暴走族のようだ)を着た右翼団員が何人も並んでいる。ふと、目の前を体重100kgはありそうな、プロレスラーのごとき体躯の右翼が通りかかった。 「帰っちまおうかな」彼は内心で呟いた。 ほどなく、白髪で長髪の上品そうな老人が、穏やかな口調で、彼に「誰かに用があって来たのかい」と声を掛けた。何しろ、来ている客の大半は、主催者と同業の右翼団体関係者がほとんどで、市井の一般人などほとんど来ていない(と、彼は勝手に思い込んでいた)から、ただの高校生の彼は明らかに浮いて目立っていたはずである。 彼は緊張しながらも「ええ、まあ」とかなんとか、テキトーに答えたような気がする。彼は「ここで帰ったら、俺は一生臆病者だ」と思った(←どういう理屈か不明)。 そのまま彼は集会場に入った。室内は日教組や日本社会党を罵倒するポスターが壁一面に貼られていた。恐らくは共産党を罵倒する文言もあったはずだが、とにかく罵倒の対象として「土井たか子」という字句があったのは記憶に残っている。 会場内の人間は、後の報道によれば、約150人ほどであったという。 彼の記憶では、客席についている人間のほか、会場内の壁際には警備のつもりで立っていると思われる人間が並んでおり、その多くは暴走族のような特攻服を着ていた。 壇上では背広姿の男が激越な口調で何か演説している、その側では、特攻服ではなく迷彩服に眼鏡の男がカメラで集会の風景を撮影していた(この男は、暴走族というより、むしろ軍服コスプレマニアのミリタリオタクのように思えた)。 で、彼は腰をかがめた状態のまま、二列に分かれた客席の中央の通路を壇上の方へ進み出て、中ほどまで来たところで、ポケットからライターと爆竹花火を取り出すと、壇上に向かって投げた。 ぱんぱんぱんぱんぱん、とかなんとか、花火が鳴った。 花火の導火線を火が走ってる時点で「あッてめぇ何しやがる!」とかなんとか、そんな罵声が飛んでたような気がする。花火が鳴ると、間髪おかず、次の瞬間にはもう集会場内の人間が一斉に、どどどどどどどどっと彼に襲い掛かった。赤く色をつけた水(そのへんにぶちまけるつもりだった)と煙幕玉の方は、使う暇はなかった。 彼はそのまま、殺到する人波に押しつぶされ圧死しそうな勢いだったわけだが、即座に、4、5人ほどの男が人波から彼を引っ張り出し、小さな人垣を作ってその中に放り込んだ。数十名の人間がこの人垣に殺到するが、人垣を作っている少人数のグループは、それを必死に押しとどめようとする。 小さな人垣を作って彼を特攻服の群れから隔離した男たちは、そのまま彼の両手を後ろに回し、手錠を掛けたうえ、無線でどこかと連絡を取っている、連絡を取っている相手は警察署らしい。つまり、彼らは集会場に張り込んでいた公安刑事なのだと彼は理解した。 殺到する特攻服の群れは、口々に憎悪を込めた罵声を怒鳴る。彼も負けじと何か怒鳴った。「毎日毎日、騒音まき散らしやがって! 市民の迷惑を考えろ!」とか「拳銃発砲とかして、どういうつもりだ?」とか「高校生でもなあ、てめえら軍国主義復活に反対の奴はいるんだ!」とか、そんなことを怒鳴ったような気がする。 彼に怒鳴る特攻服の一人は「こっちにも新聞があるんだ。なめるなよ」とか言っていたような気がする。つまり、機関紙でお前のことを批判する記事を書いてやるとか、機関紙の記者でお前のことを調べてやるとか、そういう意味だったのかもしれない。 ともあれ、そのときの彼にとっては、特攻服の群れは、同じ人間とは思えず、野蛮で暴力的な群衆でしかなかった(←傲慢な人間観だ)。 だが、彼は、目の前で、膝に孫でも抱いて縁側で茶でもすすっていれば似合いそうな年齢なのに、到底不似合いな特攻服を着た老人が、一人「バカヤロウ、バカヤロウ」と涙ながらに泣きじゃくっているのを見て、意味不明の居心地の悪さを覚えていた。 あの爺さんはなんでこんな場所にいるんだ? 家族はどうしたんだ? 相手してくれる孫もいないのか? ……とかなんとか思っているうちに、彼は、自分を取り囲んでいた刑事たちによってエレベーターに押し込められ、そのまま博多警察署に運ばれた。 |
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