「おたく文化の原点としての80年安保的価値観の救出したい部分」の話です。良くも悪くも、皮肉や嫌味抜きに「80年代を知らない世代」ってのが既に出現してる、ってのはカルチャーショックでした。自分も「今だに80年代固執派」には相当に反感がありますが、難しいところで、同時に、ホンの一瞬だけど、彼らの言うような物が「輝き」を持ってた時代もあったと思います。それを後から出てきた世代の強みでムゲに否定しバカにして終わりにするのはちょっと無責任かなぁ、って思いもある。
それと、しょせんは自分にとっての西部邁とか福田恆存ってのは20歳を過ぎてから後づけの知識で仕入れた付け焼き刃で、やっぱ十代の頃に「アニメや漫画や怪獣」とかいったおたく的サブカルチャーにまみれていた頃に得た物が物を考えるベースとしてしっくり来るんで、そのへんを一度虫干ししとこう、ってな思いもあって。今回はそんなわけでそういうオタク話ばっかになりますがご容赦下さい。
(1)「積極的軟弱」という反抗の形
さて、かつて、大の男がケーハクで軟弱でなよなよした物にハマることこそが革命的、という偉大な勘違いの時代がありました。80年代のことです。浅羽通明氏の『天使の王国』でも紹介されてる富沢雅彦氏なんて人は、草の根レベルでのそのイデオローグの一人でした。この考え方ってのはどっか「男は男らしくあるべし」ってな抑圧的な大人の価値観であるマッチョ主義への反抗、ってな意識を裏に含みつつ、80年代おたくムーブメントを支える思想の一つになっていた。
80年代前半のおたくに支持されたアニメの一つに「魔法のプリンセス ミンキーモモ」ってのがありました。この作品ついて詳しくは高井守氏の「永久保存版ホームページ」にある「永久保存版」バックナンバーの、89年7月発行の第8号にある文章「夢と希望を信じる人にはフェナリナーサが見える」を御覧頂くと良いでしょう。この作品、監督の芦田豊雄って人と脚本の首藤剛志って人の考えらしいんですが「現代社会は夢を失っている、夢を持っている人間ほど疎外されている」ってな思想がやたら強く押し出されて、いい歳をして子供らしい夢を持った人間の挫折とかが結構描かれる。言うまでなく、それは大人になりきれないおたくの辛い人生を反映させてるような部分があったわけです。俺はへそ曲がりなんで、自分もオタクなんだけど当時から軟弱な物は嫌いだった。まぁ、オタクの中で
も変に大人ぶってイデオロギーとか理屈の方を振りかざすヤなおたくだったからなんですが。で、この作品をやってた当時(82、3年頃)「アニメック」っていう今はもうなくなっちゃったアニメ雑誌に、この「ミンキーモモ」監督の芦田豊雄って人がこんなことを書いていた「僕の所に来るファンレターには、女の子みたいな字でこれでもかと言わんばかりに軟弱な文章を書き送ってくる男が結構居て、こんなのに将来の日本を任せられるのかと不安に思ったりしたけど、でも少なくともこういう若者なら『戦争起こそう』とかは思わないでしょう」と。
そういや、80年代に、ロリコンマンガとか「やおい」とかが普及しだした初期には、それらは、従来の成熟した男女のセックスってことにこだわらず、従来の押しつけ的ジェンダー(男は男らしく、女は女らしく」って抑圧的思想)を解体してるからエラい、なんて真剣に言う言説がありました。このへん、そこいらのコンビニでもロリコンマンガややおい小説が買えるぐらいに、こんだけおたく的サブカルチャーって物が世に普及した90年代の今日に、今だにこーいうことを本気で言って、有害おたくカルチャーを擁護するばかりかあまつさえ「こっちの方が偉いんだぞ」とか抜かす奴がいればそりゃアホかと思いますが、そういう物言いが確実に新しく、一部の高偏差値おたくの間じゃニューアカやフェミニズムと共犯的でさえあった、って側面はまぁ一瞬の勘違いではあったけど、事実としてあった。
これも浅羽氏の『天使の王国』の湾岸戦争絡みの話の中に出てくることですが、80年代前半頃の若者の中には、少なからず「確かに俺達は、大人から見れば『こんな軽薄で軟弱な物に熱中する今どきの若者は!』と言われるような物に熱中しているが、そのことが俺達にとっての大人的価値観への反抗なんだ」ってな考えを持つ側面がありました。こういう「『積極的軟弱』という反抗」の形は、かつての連合赤軍ら全共闘学生達のなれの果てが、大人への反抗を唱えていたはずなのに、その自分らも過激に走った結果不毛な暴力主義に陥り自滅していった、という教訓に学んでいる部分があったわけで、そこはバカにもし切れない部分もあったわけです。
ただ、この「ミンキーモモ」監督の芦田豊雄氏の言葉、当時の自分は軟弱な物はキライながら同時にサヨッキーな所もある奴だったんで、そーいう軟弱な男を内心軽蔑しつつ、同時に「そういうもんかもな」とも思ってたんですが、それから数年後、89年の宮崎勤の逮捕を芦田監督はどう受け止めたんでしょうかねぇ? 確かに「ミンキーモモ」にはまるような男なら、良くも悪くも戦争なんか出来ないでしょう、でも、利己的な自己中心主義に陥って倫理が無くなり、自分の快楽のために人を傷つけて何とも思わない人間になってしまう、という危険性はあった。オウムの信者もまたしかり。
(2)なぜ彼らは「積極的軟弱」を選択したか−連帯の可能性
消費面白主義の中に教訓があるとすれば、それは特定のイデオロギーにはまってしまうことをを相対化し得る側面がある、ということでしょう。消費面白主義的なおたくの立場からは右も左も「ネタ」でしかなくなります。それは真面目に政治闘争やってる側にはムカつくばかりでしょうが、そういうものが連合赤軍みたいな純粋性信仰に陥るのを避ける効用もたまにはある。
同じく80年代前半のおたくに支持されたアニメに「超時空要塞マクロス」って作品がありました。これの話は俺の18番です(笑)、これはどーいうアニメかと言うと、マクロス要塞艦ってでっかい宇宙船があってその中には渋谷と原宿だけがあり、米を生産する東北もなければ戦乱に明け暮れるアフリカ諸国もなく(東北とアフリカへの差別にあらず)、そこでは第三次産業だけで経済が回ってて、そんでその外では米ソが核戦争、もとい超文明兵器を持った宇宙人同士が戦争がやってる、そんでマクロス要塞艦からアイドル歌手が唄うとロスケが、もとい宇宙人が「オー、日本ノオタクさぶかるちゃースバラシイ!」と叫んで戦争を止めてくれる(笑)、そーいう素晴らしいアニメです(……以上の分析は実は当時の岡田斗司夫氏の文章を元にした物です)。こーいう物に多くのおたくが、それもおたく文化の発生の初期だからまぁ今よりは結構偏差値も高かった人たちが熱中した時代があったわけです。
90年代の目では今やそーいう時代のおたくに共感する気はありません。でも、当時そういう思想が一部に積極的に支持された、ってことは、当時はまだまだ抑圧があった、ってことの反映でもあったわけで、そこは情状酌量してやりたい気も少しします。
宮台真司先生も最新刊『世紀末の作法』では、自分は『りぼん』の乙女ちっく少女漫画で育った人間で……と少年ジャンプ的汗臭い筋肉バトル漫画は抑圧的な男性中心主義とロコツに嫌悪してらっしゃる。ごもっともです、小学校時代に6回も転校していじめを回避するコミュニケーション・スキルを身につけねばならなかった繊細なシンジ君が少女漫画の方に「自分」を見出した気持ちは分からないでもない。
これもまた、自分がモヤモヤと思ってたことを『天使の王国』で理屈で説明されちゃったことですが、70年代末期から80年代初頭のおたく文化には、地縁だ血縁だ学校だという共同体にどうしても帰属意識を持てない若者達が「俺達は同じアニメやゲーム(かつてのオヤジ世代の時代にはなかったメディア)に熱中してる」って一点で連帯感を抱く、っていう、まぁ極端に言っちゃえば「解放の思想」と言えなくもない勘違いがありました。
こんなものを「解放の思想」なんて言うのは確かにとんでもないことですが、実際80年代を転校生として地方の中学高校で孤立して生きてた自分には、実際それで救われてた部分もあるし、こういうのをどっか今だ完全にバカにし切ることが出来ないんですよね……。
もっとも、そういうイデオローグの一人だった富沢雅彦氏にしても、この90年代まで生き延びて果たして醜くない人生が送れていたかは分かりませんね。もし今生きてたら俺なんかには凄く嫌な人になってるかも知れない。
(3)生産点から切り離された者の独自の視点
先に宮台真司氏の『世紀末の作法』で少年期の宮台氏が自らを少女漫画で育った人間だと書いてた、ってことを引きましたが、俺がこの本の中で一番印象深かったのは、大塚英志氏の「たそがれ時に見つけたもの−『りぼん』のふろくと乙女ちっくの時代」への書評「少女たちの『断念』にこめられているもの」でした。
俺は、ここで挙げられてる大塚センセの「たそがれ時に見つけたもの−『りぼん』のふろくと乙女ちっくの時代」は読んでません。そもそも俺は大塚って人がかなり信用できんと思ってましたが、この本だけは本当に評判がよいので関心はありました。で、この書評での宮台氏の論旨は大体、自分は筋肉バトルの少年漫画より現実を相対化する少女漫画ファンタジーで育った、自分は30過ぎた今でもそれらが好きな部分がある、ところが同年代で同じ少女漫画にハマった女の子らこそ30過ぎて自分が子供を持ったりすると、かつてはまった少女漫画ファンタジーの世界をきれいに捨ててしまっている、ってことですね。
宮台氏自身はっきりそう書いているワケじゃありませんが、どうも宮台先生、かつての少女漫画ファンタジーを捨ててしまった元少女に戸惑い、一方30過ぎの大人の男のインテリになってなお心の奥底に「少女」の部分を残してる自分を後ろめたく思っているかのような印象を受けました。
俺は繊細な苦悩なんかちっとも理解しない汗臭い筋肉バカで、宮台先生が一番嫌うような宮下あきらのウヨッキーな極道漫画が大好きな野郎ですが(笑)、しかしその一方で、大島弓子とか竹宮恵子とかの70年代少女漫画ファンタジーの持っていた批評性、現実を相対視する独自の視点とかには敬意を払っています。汗臭い筋肉バカの俺にはああいう視点は持てん、とか思いながら共感してしまう部分も多い。
でも、考えてみたら70年代当時の少女漫画家とかその読者とかがそーいう視点を持ち得たのは、当時まではギリギリ、何だかんだ言って「女の子」ってのは生産中心主義の社会からは疎外された存在だったからじゃないのか? って気がする。やはり出てくる生産中心主義思考とおたく文化の視点の対立!
そういや「エヴァンゲリオン」のパロディ同人誌とか、男の描いた物は大抵即物的なエロだけでストーリーがなくてつまんないのが多いんだが、これが女性の作品だと以外と侮れん。女性の描いたパロディとかだと、あの作品の登場人物みたいに傷ついた傷つけられたと騒いでうさ晴らしせずには生きられない人々、一生懸命になれば空回りしてしまう人、といった「まったり生きられない」「イケてない人たち」への観察眼の鋭さが滅茶苦茶鋭かったりするわけだ、これが。でも、その反面で、こーいうの描いてる女性、やおい系の女性のオタクって、みんな社会にメインストリ−ムに入れなくって、そんでいい歳してアニメとか捨てられない「痛い人」たちなんだろうなぁ、ってのもまた確実に感じられる。
宮台先生はインテリの学者、比較的自由業に近い立場にいるから40近い歳になっても心の底に「少女」で居られる部分を残していられるけど、しかし現実の元少女はいやおうなくして子供の教育に仕事バカで家庭を顧みない夫、近所づきあいに今日の家計、とかいった問題に負われ、いやおうなく半径5mの目先の人間関係と保身と世間体しか考えない「おばさん」にされてしまう(哀しいことです)、そうなっちゃうともうそんな視点は持てないし、そんな少女漫画に救済は得られないんでしょうな。まぁ宮台先生の戸惑いも無理もない。
(4)「建設と生産の時代の終焉」の功罪
しかし、最近思うんですが、「おたく」の間じゃ同じアニメやゲームやコンピュータの話で盛り上がれるから、ってんで10代でも30代でも年齢差が無い、ってどこまで本当なのか? おたく業界内でも実はもう30代以上の世代は実は結構バカにされたり嫌われたり視点じゃないか? 例えば「コスプレダンスパーティ」とかやってる90年代の今のおたくってのは「暗い」って言われるのをやったら嫌がって「ほ〜ら僕らはこんなに明るく楽しくしてますよ」って顔をしたがる向きが少なくないけど、そーいうデオドラント化したおたく像にはなんか逆説的に「でも、こいつらに何か生産的な物が創れるのか?」って感じがしてしまう(松本零士『男おいどん』的ハングリーさの欠落!)
例えば「今だに80年代固執派」の一人香山リカ先生なんて、イデオローグとして90年代のコンピュータゲームおたくにどんだけの波及力持ってるんでしょうかね? そーいやアメリカじゃ70年代の初期のコンピュータ・カルチャーってどっかヒッピー・ムーブメントとつながってたらしいけど、「コンピュータ・ネットが国家の管理を越えた自由な個人の連帯を生む」とかいう思想って、今の「X世代」にどんだけ本気で波及力持ってるのか? インターネット使ってる奴の9割は企業の利益目的か個人の快楽目的でしょう、それが健全な常民の姿ですよね。何でも普及すると「薄く」なる、で「昔ながらのマニア」は不機嫌になる。そーいや日本でも「俺達は70年代から自力でマックを輸入して組んだんだぜ」とか「お前ら初期の8800を知らねぇだろう」とか言う奴はウィンドウズから入った世代には本気で嫌われてるとか、そーいう側面もあるのかも知れない。
で、何が言いたいか、ってぇと、90年代の今の若いオタクと、70年代末から80年代初頭のオタクは何が違うのか、ってなことです。この辺は、秋頃に発売予定の「エヴァンゲリオン」絡みの本の原稿を先頃脱稿した河田拓也先生(誤解を避けるために書いておくと、本来は決してアニメとかが専門領域の人ではありません)と電話で雑談してて出た話なんですが、つまり、70年代末から80年代初頭のオタク第一世代には、彼らの少年時代にまでにぎりぎり残ってた高度経済成長期の重厚長大な生産中心主義へのコンプレックスが凄くあって、それが彼らの「『積極的軟弱』という反抗」ってな勘違いの大きな原動力にもなってたんじゃないか、という気がする。
以前にも書きましたが、いわゆる「おたく第一世代」(1950年代後半〜1960年代前半生まれ)の人たちってのは、子供の頃には高度経済成長期の価値観である重厚長大な生産中心主義の価値観を刷り込まれ「テクノロジーがユートピアを実現する」ってな進歩神話(万博センス!)を吹き込まれて育ってきた、ところが実際には70年代に入り二度のオイルショックやベトナム戦争によるアメリカの衰退を目の当たりしてフロンティアの喪失を体験し、しかし彼らが成長すると足元には「楽しい消費社会」が実現してて「もはや生産中心主義に生きなくて良い俺らこそ汗臭いイデオロギーから自由でニュートラルに現実を見れる世代なんだ」ってな態度を標榜し出す、で、その辺は「近代の終焉」を説くポストモダニズムと共犯的関係だった……って、この辺は宮台センセも岡田センセも中森センセも言ってることだから、知ってる人には「耳にタコ」でしょうけど念のために書かせてもらいました。これ「おたく文化」を巡る「歴史と経済」の基礎部分ッスからね。
で、先の河田先生との話で、河田先生が「GAINAXの作品って、やたら『父親』にこだわるんだけど、その父親がいつも不在なのはなぜなんだろ?」って意味のことを聞いてきたんで、自分は「う〜ん、だから、高度経済成長期の父親って仕事仕事で家庭を顧みて無くて、一方自分らには勉強部屋とテレビがあって、そーいう父親に反感を持ちつつ、同時に『消費だけにかまけて生きてる俺達ってダメだよな』って思いがどっかあって、そんでどっか、自分らも物を作ってそーいう父親に対抗してやりたい、って意識があったんじゃないの?」と答えた。この辺はあくまで「同時代的背景」で、まさかあの庵野カントクがそんな「歴史と経済」の視点を本気で持ってるとは思えないが、まぁ当たらずとも遠からずじゃないかとは思ってる。そこで「おたく世代」たちが作った物ってのはアニメ作品だったりゲームソフトだったわけで、その父親世代が高度経済成長期に建設してた物に比べればそれこそオモチャなんだけど、それは作ってた本人が一番自覚してた事なんじゃいかって気もする。彼らは一方で「こんな軟弱な物に熱中してる俺達って……」とオヤジに後ろめたさを感じつつ、そーいうプレッシャーがあったからこそ真剣だったんじゃないか?
そういえば、初期のおたく第一世代が尊敬をした人たち、松本零士とか宮崎駿とかってのはどっか「エンジニア・スピリット」を感じさせる作風の人間が多い。その辺には、彼ら初期おたくの多くが少年期には重厚長大な生産中心主義を吹き込まれてきながら、彼らが青年期に差し掛かると経済も産業もフロンティアを失ってしまってた、ってことへのコンプレックスがどっか強くあるんじゃないかと思うんですがねぇ。
この辺、はじめっから「消費しかない時代」、物心ついたときには既に建設と生産の時代は完全に過去の物になってた今のおたくとのズレなんじゃないかって気がする。今のおたくなんてへたすりゃ父親までも戦後世代だ、この手の世代的葛藤って今はもうないんだろうか、やっぱ。
河田先生は俺にこう答えた「やっぱ、戦争とか高度経済成長みたいな国家レベルのうねりが背景にないと面白い作品が出来ないね(笑)」と。
然り。まぁそりゃ現実の戦争に巻き込まれるのは今更ごめんだけどさ。
……あーあ、なんかまた中途半端な引きになっちゃいましたね。時間の余裕もあんまりないんでまたも未整理のまま出しちゃったって感じですみませぬ。
こうして書いてきたこと、俺は別に単なるノスタルジーや「今のおたくはフロンティアを失ってるからもうダメだ」で終わらす気はありません。今回は現状確認ってことで。
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