|
20歳前後の時期、自分が思想的に一番影響を受けたのは、恥ずかしながら何だかんだ言って『別冊宝島』シリーズの浅羽通明氏や大月隆寛氏や呉智英師匠の文章だった。で、それらの書物に触れる以前、中高生の当時は、思想的には(って、今にして思やぁ思想もくそも無なかったってのに近かったけど)どっちかと言えばサヨッキーだったはずなのだが、その頃からとにかく「馴れ馴れしく子供・若者の味方ヅラする大人はでぇっ嫌ぇだった」「インテリの子供・若者礼賛、特に不良礼賛は一切信じないと決めていた」という点では一貫してたように思う。
自分がそーした考えを固めるに至った根拠は、書物から得た知識によるところよりも、高校生の頃の二つの実体験に基づいている。で、その二つについてはそれぞれに数年前に書いた文章があるんで、まぁこの際、一種の歴史民俗資料のつもりも込めて、この機会にちょっと手を加えてここに再録してみることにしたい。
●兄貴ヅラしてたS氏のこと
中高生当時、俺は地元(福岡)の小規模なコミケにちょくちょく出入りしてたんだが、そこでその男に出会った。Sというその男は私より五歳ほど年上で、俺は程なくして何となくそいつの率いていたサークルに加わることになった。
俺は当初、彼が年上で学校外の友人であることや、彼が古い漫画本やビデオソフトなどのコレクションを豊富に持っていたことから安易に彼に敬意を示して付き合っていた。年上で学校外の友人、ってのはけっこう重要なポイントだ、地方じゃ中高生ぐらいだと自分の通ってる学校と後は家庭ぐらいの他には「世間」ってものを知らない、それが学校外で自分と同じ趣味の人間と知り合うってのは大きな感動の元になる、そいつは当然コミケや同人ばかりじゃない、バンドを組んで音楽をやってるやつでも、カメラ片手に映画を作ってるヤツでも、ホンカツ先生の著書を片手に社会情勢を憂える市民運動のおにいちゃんでもそうではないだろうか? 学校の外で同じ趣味の仲間を見つけた瞬間、「あ、こーいうのが好きなのは俺だけじゃなかったんだ」と痛感し、また、同じクラスの学校の中だけしか知らない連中に比して自分が広い世界を知ったかのような気分になる(……と、ここまで書いてて、早くからパソコン通信をやってたという人には、こんな話は「何を今さら」的なものなんじゃないかな? と思い至ったが)。ともかく、当時の俺は、当初そーいう後光もあってけっこう単純に「彼」に幻惑されてた。
彼は「島岡隼多」というペンネームを持っていた。「島岡隼多」は地元のコミケに良くコスプレをして現われて派手なアクションや寸劇を人に見せるなど、ちょっとした顔役だった。しかし素顔のSは高校時代はやや冴えないタイプのおとなしい少年であり、高卒のフリーターのまま職を転々とする身だった。当時はフリーターというライフスタイルに開き直ることが(地方では)まだ目新しかったせいか、高校一年の私は彼を「だらしない奴」と切り捨てられるだけの審判眼が養われておらず、そのフラヌール的な姿に好感を持ちさえした。
しかし程なくして私は、彼自身は口に出して言わぬものの、彼がどーにも何かと大学生のサークルを目の敵にするのにはその裏に学歴コンプレックスがあるとしか思えない点だとか、二十歳を過ぎて定職に就くこともなく親元にぶら下ったまんま自己正当化のぼやきを繰り返す彼の姿に嫌気がさしてきた。
恐らく彼は、学歴社会からは落ちこぼれ、バイト先でも冴えない奴、といった自分の現実社会での無力さや空虚を「島岡隼多」を演じることで埋め合わせていたのではないかと思う。もっとも、彼が自分のことについて深く考えたりしている様子はまるで見られなかったし、また、そういう話をする事も全く無かった。彼はコミケで知り合った歳下の人間を自宅に招いては、深夜まで延々とマンガなどのうんちく話をしたり自慢のビデオのコレクションを観せていたが、それはともすれば必死に「場」を保たせようとしているかのようにも見えた。また彼は酒もギャンブルもからっきし駄目で、コミケで知り合った人間以外にはほとんど付き合いも無いようだった。コミケのコスプレ・ショーで派手なアクションを見せるSの姿には、日常に圧迫された彼の超越願望のようなものを感じるのである。
あるロックグループのヴォーカルは「僕は歌ってるとき以外は何の役にも立たない人間です」と語っていた。私はこのような人間には好感を持つが、ミュージシャンにせよスポーツ選手にせよ、辛い修練に耐えるだけの意志を持ち、或いは自らが真剣に打ち込むものの為には実生活を犠牲にすることを厭わないだけの信念があればこそ、こういう台詞を吐くに値するのではないか。この点に私は、アマチュアリズムの甘さにまどろむコミケおたく達の現実逃避気質を感じるのだ。「生涯一同人誌ライター」として死んだ富沢雅彦は、自ら進んで積極的に「おたくという生き方」を選択していたとも言うべき人間だった。浅羽通明のルポに描かれた彼の生き様には確かにある種の気迫と決意性を感じる。
富沢とこのSは一見似ているようにも見えて、その主体性の厳しさという点において天と地ほどの差があるのではないかと私は考える。Sはただずるすると済し崩し的に現実逃避を続けて甘えているだけにしか見えないのだ。
俺はその辺のことをそれとなく、言い方もいろいろに考えて何度かS氏に言ってやったんだが、聞く耳はなかったようで、最終的にはケンカ別になった。宮崎勤が逮捕されたのはその翌年である。
……いや、元がもう5年以上も前に書いた文章だから、自分で読み返すと何か恥ずかしいわな………と、皆さんは、ここまで以上の文章をお読みになって「あれ、どっかで同じよーな話を読んだような……」と感じませんでしたか?
竹熊健太郎氏の『私とハルマゲドン』(太田出版)の中に、若き日の竹熊氏を自販機エロ本出版の世界に引っ張り込んだ、竹熊氏の「グル」のごとき存在であったというサブカルチャーおたくの「X」なる人物のことが書かれてるけど、俺は近年になってその文章を読んで、「なんだ、俺の『S』とそっくりじゃねぇか」と思ったもんだった。
おそらく、この「S」みたいな奴というのはどこにでもいるタイプなんだろう、コミケに限らず、文学、思想系のサークルだろーが、バンドだろーが、演劇サークルだろうが、市民運動系左翼だろーが、宗狂団体だろーが、とにかくこのタイプは確実にどこにもいるんじゃないか、と思う。実際、専門学校で若い講師の一人にこーいうタイプに近いヤツが一人いた。そいつは大抵「俺が一番この業界のことをよく知ってるんだよ」「俺のことを実の兄貴みたいに思ってくれよ」と馴れ馴れしい態度を取り、自分がどこかからそいつに関するネガティヴな意見を述べる者の噂を仕入れてくると「そんなものは〜〜だよ」と言って憮然とした態度で突っぱねて聞く耳を持たない、要するに身内の中でしか威張れない内弁慶ってヤツだ。
でも、このように書くと「でも、コミケに集まるのは(コミケでなくても何でもいいが)そのSとかいう人みたいなのばかりじゃないよ、いい人だったたくさんいるんだから」と反論する向きもおられるだろう。また「悪かったね、どーせボクもそのSみたいなヤツだよ」と萎縮する向きもいらっしゃるんじゃないかと思う。しかし、だ、そんなこたぁ最低限自覚しとくべき前提のレベルであって、本当に同人マンガなら同人マンガが(バンドでも演劇でも何でもいいが)好きなら、それを分かった上で、人に恥ずかしくなく胸を張れるように同人マンガをやるべきではないか、っつーことだと俺は思っているわけです。
また「あんた、そりゃたまたま偶然運悪くSみたいな醜いタイプに出くわしちゃっただけじゃないの?」という向きもいるかも知れないが、何事もダークサイドにも目を向けずして物事は語れない(岡田斗司夫センセーだってそう言ってる)、ダークサイドを見ずに済んでる人はまぁラッキーでいいでしょう、しかし、運悪くそれをちらりとでも認識しまった人間は、そいつをきちんと対象化してどーしたら乗り越えられるかを考えるべきじゃあないですかね? 旧共産圏の失敗の原因の一つは全て問題を「無いことにしてきた」という点にあることは忘れちゃいけませんぜ。
●恥ずかしながら抑留自慢の記
で、もう一つ自分の思想の原点となった体験は、高校三年の夏に生まれて初めて警察に取っ捕まって(18歳未満だから便宜上は「保護」だが、しっかり手錠は掛けられやがった)少年鑑別所にぶち込まれた時のことだ……って書きながら、ひどくこっ恥ずかしい気分になってる。だって、こんなこと書くと、いかにも古傷を自慢たらしく見せびらかしてるみたいでいやらしいもんね。
しかし、今後このホームページで自分の考えを書いていこうと思ったら、先々この経験で培ったことは避け難くして必ず出てくるだろーと思うから、みっともないのを承知で書かせて頂きます。あ、言っとくけど俺は本来ぜぇんぜん軟弱な「おたく」少年であって、不良とかじゃなかったですから。じゃ「どういう考えで何をやって取っ捕まったか」は、書き出すと長ったらしくなるんで別の機会に譲ります。まぁ、あらかじめボケとくと「幼女に性的いたずら」じゃねぇーからな(あ、シャレにならなかったか?)
えーと、ともかく、1988年のその日、自分は警官に取っ捕まると「君には弁護士を呼ぶ権利と黙秘権がある…」っていう例の台詞を聞かされながら、まず警察署に連行された。現行犯だったんでとにかく扱いがスピーディで、翌日には検察庁に送られて、その翌日には少年鑑別所行きになった。
でだ、取っ捕まったその当日の夜、取り調べが一応済ん警察署の地下の拘置所に入れられると、俺はとにかく自分がマンガの主人公にでもなったみたいな気分で自己陶酔気味にはしゃいでた。「うひょー、やったぜ。牢屋にぶち込まれるなんて、まるで矢吹丈かアッシュ・リンクスみてーじゃねぇか。これでちょっとはハクがつくな、出所してやったらせいぜい自慢話をしてやろう」とかなんとか、なんとも能天気に自分に酔ってたワケだ。いやぁ〜実に不純だねぇ、どー考えても阿呆だよ、アホ。大杉栄がそんなことを考えたかぁ? マルコムXがそんなことを考えたかぁ? 若き日の新崎智師匠がそんなことを考えたかぁ? 恥を知れ! ってんだよ、17才当時の俺!(苦笑)……いや、何しろ生まれてこの方この時までずっと臆病で怠惰な「おたく」少年でやってきてたんだから……。
もっとも、そんな気分は、少年鑑別所に送られてから一週間もしない内に嫌が上にも醒めさせられちまった。福岡市少年鑑別所での最大の屈辱は、入所の儀式で検査のためにけつの穴にガラスの棒を突っ込まれたことでもなぁーんでもなく、喰っちゃ寝喰っちゃ寝しかすることのない毎日で、出所するまでに太った、ということだ。実際、あそこのメシは、どー考えても太るような栄養配分されてた、御飯は何しろ麦100%だし、おかずも安っぽいくせに変にカロリーだけは高い物が多い。でもって収容期間中は圧倒的に部屋に居させられてる時間が長く、否応なく運動不足になる。うがった見方をすれば、ありゃあ多分、敗戦直後頃には飢えて荒んだ浮浪児がごろごろしてて、そーいうのが非行に走ってたもんだから、取っ捕まえた不良にはひとまずたらふく喰わせて心身共に落ち着かせてから更正を促す、ってなシステムが出来てて、それがそのまま戦後40数年以上を経てもはや喰うには困らぬ時代になってなお引き継がれてた、ってなことじゃないかと思う。だとすれば、一つハッキリしてるのは、少なくとも俺は別に飢えてたから非行に走ったワケでもなんでもなく、よって俺にはこのシステムは何ら意味を持たなかった、ってことだが。
さて、そいつは確か自分がタダ飯(但し麦飯)食い放題の退屈な国営ホテルにぶち込まれるよりしばらく前の話だったと思うが、とある雑誌で(ハッキリ言っちまうと、講談社から出てた今は無き『DAY’S JAPAN』だったが)、教育評論家の先生だかが「学歴社会に順応した優等生なんてくだらない、学歴社会からはみ出した不良たちにこそ今の子供たちの多数が失ってしまった野性的な生命力があるのだ」とかなんとか、そーいう意味のことをコメントしてんのを読んだ。俺はその文章を読んだその時には、そこでその教育評論家だかのおっさんが語ってる「学歴社会からははみ出した不良」ってのが、臆病なおたく少年なんかである通常の自分の生活じゃ視界の圏内にはない存在だったりしたもんで、マンガに出てくるカッコいい不良とかのイメージを思い浮かべて「はぁ、そんなものかも知れないな」ぐらいにしか思わなかった。
●不良をめぐるインテリの神話と実像とのギャップ
しかし、自分がそのタダ飯(但し麦飯)食い放題の退屈な国営ホテルを出てきて以降は、その手の意見には「なんかちょっとおかしいぞ」という気がしてきた。歳を経る内に目からウロコが剥がれてきたという気がする。おいおい、俺が福岡市少年鑑別所で見た不良連中は、少なくとも俺の目から見た分には、まぁそのほとんどが「負け犬」の目をしてたぜ、本当に見るからにカッコいい不良なんざあいにくほとんどお目にかかれなかった。シンナーだか薬だかのやりすぎだかで足腰フラフラで目つきもろくに定まってない奴、こいつはよほど親からも何も言われずに無節操な生活してたんじゃないか? という感じのぶよぶよの超肥満体の体躯に申し訳のよーな単色筋彫りのイレズミが書いてある奴、夜中に「おがぁああああちゃぁあぁあーん! 俺がわるかったよぉおおおおおー! こんなとこからは出してくれよぉおおおー!」と何度も何度も泣き喚いて叫ぶ奴、度胸と根性のシンボルのつもりでせっかく入れたはずの彫り物を、世間体を気にして今さら「消せねぇかなぁ……」とボヤく奴………。
いや、俺だって何一つ他人のことは言えたもんじゃなかった。自分は性根が怠惰だったんで、少年鑑別所での日常に付き物の朝の整列点呼だの清掃作業だのは結構手を抜いてた、で、内心じゃ「これは権力に対するサボタージュなのだっ」とかなんとかへりくつで怠惰を正当化してワケだ、ああ、つくづくきったねぇ野郎だよな17歳当時の俺!!(笑) しかしだ、同室の中卒ヤンキーと暴走族崩れの二人の方はこれを実にてきぱきと作業をする、ここで彼らを「なぁんだ、口じゃ反抗精神旺盛ぶってるくせに」とか言うのは完全にアサハカというもんだ。要するに彼らの方が俺なんかよりずっと切り替えがうまくて状況に対する順応力がある、ってことなんである。彼らは看守に従わされてる自分の姿について一々うじうじと考えたりなんかしないのだ。で、作業が済めばそれは一過性のこととして忘れてしまう。ここでそういう切り替えが出来ないのは変に物を考えるのが癖になってる弱い人間だけだ。
同室になった奴の片方の中卒ヤンキーは、どーいう家庭の事情だかは知らないが両親は家にいなくてばぁさんと暮らしてるらしく、審判(少年犯罪の略式裁判、家庭裁判所で行われ、弁護士は出席せず、被告の家族のみが呼ばれて判決を聞かされる)が近付くと「ばぁちゃん来てくれるかな……」と弱気な表情を見せてた。もう一方の暴走族崩れはどうやら10代半ばにして自活してるらしい。俺は彼らを見て「ああ、俺はこれでも一応両親は共に揃ってて、一応家庭もあれば学校にも通えてる中産階級だったんだな」と、今さらのよーに初めて痛感させられた。その程度のことに、俺はそれまで気付きゃしなかったのだ。
しかし、それで「俺は全然甘えてる、コイツらの方が断然強いしたくましいじゃねーか……」なぁーんて思って、そんで彼らに尊敬のまなざしを向けたのか、といやぁ、まぁ確かにそーいう側面はあるよな、と感じたけど、そこで彼らを尊敬する気は全く起こらなかった。
●彼らは「大人への反抗」に燃える若者か?
俺の見た限りの印象から察するに、連中は、学歴社会からは落ちこぼれた自分たちは、この世の中ではいっくら努力しても大した立派な人生は望めないってことを分かってる、だもんだから車や女やギャンブルや目先の快楽に走る、でもって犯罪者になっちまったりする(もちろん、学歴社会からあぶれてなお、あるいは自ら学歴社会に背を向け、向上思考をもって生きるタフな不良だって少数いることはいるだろーが)……これは悲しいがしょーがないことなのだ、彼らはしょーがなく目先の快楽に走る生き方をしてるのであって、苦無くそれが出来るのであれば、まっとうな学歴社会に乗っかってまぁそこそこの社会的地位を得る方を選ぶだろう(と、俺が彼らに言っても、彼らはプライドゆえに認めないかも知れないけど)。彼ら不良少年少女たちは自ら学歴社会に背を向けたヒーローなのである、なぁーんてのは、結局、アウトローになり切れなかった人間の理想と願望でしかないのではないのか?
彼らは別段、はじめっから「大人への反抗」なんてこたぁ考えてはいない、そんなスローガン先にありきで行動するのは、観念が肥大したインテリだけだ。
彼らは健全なヤンキーたちは単に女だ車だギャンブルだといった目先の快楽だけを追ってる内にたまたま、親だ教師だ警察だといった「大人」と、結果的に衝突するよーな事態になって、そんであくまで目先の障壁への一過性の印象としてそれらの「大人」にブツクサ言ってるだけであって、そういう親だ教師だ警察だといった「大人」を打倒して自分らの世界を築くなんでヴィジョンは持っちゃいないんである。え、当たり前だって? でも、その程度のことにも気付かない尾崎豊ドリームの困ったちゃん、ってのもいるんだよ、実際。でも、そーいう奴に限って偽善抜きに「いい人」だったりするからなお困るんだが。
で、この話はさらに「口で人権とか自由とか言ってるインテリは落ちこぼれを救えず、代わりに右翼や任侠団体が彼らを救ってしまうのはなぜなのか?」という論題に続いていく予定です。
|