「大月隆寛はこう読め」或いは「大月隆寛という不幸」 (2000年5月)


「ゴー宣」から入った新世代大月読者にオヤジ世代読者から送る説教?

本年春、大月隆寛氏の新刊『あたしの民主主義』(毎日新聞社)が刊行されました。
十年来の愛読者としても、なかり出来のよい本だと思います。
 こういうと実に偉そうですが、わたしは「ゴーマニズム宣言」のブレイク以前から(小林よしのり氏に関しても「ゴー宣」以前の「おこっちゃまくん」いや80年代初頭の「マル誅天罰研究会」以来の愛読者だけどね)浅羽通明・大月隆寛両氏の愛読者を続けてます 。
 で、今回は、そんなオヤジ世代として一つ、私なりの大月隆寛読解入門を展開させていただきます。非常に長文になりますが、ひとつお付き合い下さい。
by葦原骸吉


『あたしの民主主義』はこう読め

 本書の内容は、直接間接にほぼ、歴史認識、戦争、民主主義ってことの「語り方」「語られ方」についてだといえるでしょう。つまり論壇論、ジャーナリズム論というメタな視点ですね。なるほど、それら「語り方」「語られ方」の点検、という意味は大きいし、それがすっぽかされたまま、左右がともに空疎なお題目合戦になっていることへの大月氏の苛立ちが凄く良くわかるし、右にも左にもつける薬になってくれてると思います。
 大月氏は言う、今や「右対左」「保守対左翼」より「オヤジ対おたく」が重要だ、と……おい、バカにして逃げないでくれ、大月はマジだ。言葉と実感のずれ、ナショナリズムなり民主主義なり、本来はまっとうな理念であった物言いが、高度情報化社会の中で、どうして空疎なお題目になっちまったか、それをもっぺん問い直すことから始めにゃならんと大月は説いているのだ。
 本書中では「つくる会」に関連した大月氏自身の経緯も述べられている。今なお会の趣旨には賛同しつつ会の運営のありようには違和感も述べていて、確かに、左右問わず、気の短い御仁から「で、結局お前はつくる会とか小林よしのりの味方なの? 敵なの?」という意地悪な詰問も飛んできそうな歯切れの悪さもある。だが、その「歯切れの悪さ」は単なる責任逃避の価値相対主義とは確実に違う。安易に結論を下してわかりやすいスローガンに逃げず、地道に対象と付き合い具体性のある地に足のついた言葉を身につけろ、という民俗学者の心意気と受け取った。
 本書中、読んで強い印象を覚えたのが、まず、昭和天皇崩御の際の同僚の大学教官たちの空騒ぎへの違和感を表明した折のエピソード。外語大のセンセイらが「なんだかよくわかんないけど、とにかく天皇制に批判的に考える場を持たなきゃいけない」と思い立ったはいいが、本当に「なんだかよくわんないけど」のまま行動に移して、なんら具体性も無く意識を共有する学者仲間内での閉じた論議に終わる空回りへの指摘と、その空回りを指摘したら、それだけでよってたかって右翼だ反動だと悪者扱いの糾弾を受けたという不条理劇は、十年前のエピソードと笑えない。
 また、大月氏は、冷戦体勢崩壊後に多数出てきた安直な後出しジャンケン保守(全共闘の全盛期の左翼学生をひっくり返しただけの物)、スローガン先にありきの右翼おたくにも手厳しいが、その一方で、実際に現場で生きている若手自衛官には高い信頼と好感を持っていることも良くわかる。江田島の海上自衛隊の若手との談義の章は、若い自衛官たちが、ファナティックな正義に酔った思想オタクとは対極の、健全な職業倫理と強い責任感を持った普通の青年であることが実に爽やかに示されていて、襟を正させられる気がした。
 とにかくいい本です。読んでくださいませ……と書きつつ複雑な思い、この本は、ちゃんとした大人には不要な本でしょう、でも若い人に読まれるとも思えない。
 たぶん不幸にもこの本はあまり売れず、また理解されないと思う。決してわかりやすいスローガン、大文字の正義は吐かない人間だからね。損な役回りだとは思う。が、こういう役割も必要なんだろうなあ、と思います。


大月は「通俗新保守」とどう違うのか その違和感の構造

さて、いまだに一部では「大月隆寛=保守・右翼」という誤解があり、また、そういう立場から彼を自分の側の人間だと思って著作を読んで「なんだこの大月って男は」と怒ると言う悲喜劇があるらしい。で、この機会に、そこの問題を微分してみます。  大月氏は『あたしの民主主義』中で、ビートたけしの『だから私は嫌われる』がベストセラーになってしまう構造への違和感を表明し、また、巻末での坪内祐三氏のと対談で、渡部昇一や小室直樹といったビジネス書系通俗保守に違和感を表明してます。確かに、大月を保守、右寄り、「オヤジ」寄りの論客と目している人間は、この態度に面食らうかも知れませんね。
 ただ、ここで大月が疑念を示しているのは、ビートたけしや渡部昇一や小室直樹自身とその物言いあるというより、その「消費のされ方」「読まれ方」だと言えるでしょう。  渡部昇一にしても小室直樹にしても、大雑把な大状況論はまあ正しいだろう、しかし、彼ら自身が自分では啓蒙家、大学者のつもりでいても、それはから回りしてないか、ということが言いたいんじゃないかと思います。
 まず、大月は確かに単純な人権ヒューマニズム左翼はバカにしてます。しかし、それを、自らを省みることなく冷笑してわかった気になるためのツールとして、新保守的な偽悪的言説が安易に普及することにも違和感を示しているわけです。
 何でもバカにして斜斬りにするたけしの毒舌風言説は、確かに優等生的人権ヒューマニズムを相対化する効果はあるが、それは本来「芸人」という立ち位置あってのもので、一般ピープルがそれを知った風な口でまねしだしたら、それは違うんじゃないか、というのが大月の違和感なのでしょう。
 で、カッパブックスや講談社現代新書あたりで「ビジネス書」として比較的廉価に普及した渡部昇一や小室直樹らの著作は、渡部や小室自身の思惑を超えて、そういう、新保守的言説に拠ることによって「僕の方が左翼より頭が良いんだ」と、世の中を、物事をわかった気になるための早上がりツールとして消費されているだけじゃないのか、ということへの違和感表明だと思えるわけです。
 しかしこれは、啓蒙くさいスタイルを取りつつ、かつ万単位で売るものとしての書物としては避けられない傾向なのだと思います。『あたしの民主主義』巻末の対談で、相方の坪内祐三は、昔はこんなに出版点数、部数は多くなかった、こういう大量消費スタイルになったのは70年代後半〜80年代の話だ、という意味のことを述べてますね。
 本来、思想を説く本は、そうであればこそ、少数の人間に、直に、フェイストゥフェイスの関係で説くような形で届かなければならない、しかし、それを「商品」として万単位で売れば、そういう安易な受け取られ方になるのも仕方ない、大月さんが言いたいのは、そういう問題なんだと思います。


知の大衆化による読まれ方の変容

しかし、すると今度は、小室直樹や渡部昇一みたいなわかりやすいビジネス書系統の通俗保守じゃなくて、例えば西尾幹二先生が引き合いにするニーチェや西部邁先生が引き合いにするオルテガのような権威ある近代の古典、通俗でないホンモノ教養が身についていればいいのか、という話になる。
 実際、WEB上で、愛読書はニーチェだのハイデガーだの福田恆存だのと言えば、冷戦体勢崩壊後に付け焼刃で「反米愛国」とか言い出した「後出しジャンケン保守」とは一味違うようには思えますね、しかし、ここで次の段階の問題になる、今の世では、付け焼刃の若手でもニーチェなり福田恆存なりの口真似を言うこともできてしまう。
 つまり、今日では、本来どんな崇高で大人向けのきちんとした思想書だったものでも、もはや避け難くして、社会構造的に、かつての時代とは「読まれ方」が変わってしまっている、ということです。  今日、少し大きめの本屋に行けば、古典的なビッグネームの思想家の著作なら、ほぼ文庫で簡単に手に入って読めます。
 また、彼らについてのわかりやすい入門書、概説書も、ちょっと探せばカッパブックスや講談社現代新書あたりで簡単に読めます。彼らが実際に生きていた時代状況下で、政治体勢の不自由、現在と比べれば圧倒的な情報量の差の中で彼らがどれだけの努力をしてそうした知を編み出し、また流通にこぎつけたかということを考えれば、天地の差です。
 言うまでなく、明治から戦後のある時期まで、大学に進学し、そうした知に触れる階層は絶対的に少数でした、出版情況も、昭和に入って岩波文庫や改造文庫が安価に出回る以前は、専門的な思想書は、翻訳が無くて高価な輸入書でしか読めなかったり、絶対的に少数のインテリだけのものでした。また、そうした知は、私塾のような少数精鋭、師と教え子がお互い顔の見える関係の許でじわじわと普及されたはずです。何より、大学進学者自身が圧倒的少数であるからそのエリート意識にもとづく責任感も現在とは違っていたはずです。
 別に「昔のインテリは立派だった、それに引き換え今の若者は〜」と言いたいのではありません、また反対に、単純に、80年代に横行した価値相対主義を振り回して「今やニーチェも少年ジャンプも等価だ」などとほざきたいのではありません。 無論、今日でも、そういう思想の古典を昔のインテリのように厳粛に受け止めて読んでいる人もいるでしょう、しかし、今日では、無条件に「ニーチェなり福田恆存なりを読んでるからこいつは信用できる」などとは言えない、ということです。
 今や一応偏差値の高い大学に通ってても、全然本なんか読まない学生も多い、しかしだからこそ、ちょっと「俺は普通の奴とは違うんだ」というポーズを取るため難しい本を読んで結論だけ偉そうに口真似する輩もいます、そんな奴でも福田恆存と同じことは言えてしまうわけです。そう言えば『あたしの民主主義』巻末の対談で、坪内祐三は、小林秀雄を読んでるなら福田恆存も知ってるはずなのにそれを知らない奴がいるんで驚いた、とか言ってたけど、そういうふうに、文脈無視で自分に都合の良い部分だけ切り取る読書という仕方をしてる人間だって平気でいる。
 逆にいえば、本当にきちんとした奴なら、宮台真司しか読んでない奴でも信用できると思います、何を読んでるか、何を語ってるかもさることながら、そいつ自身の脳味噌で、そいつ自身の立場にひきつけた上で、それをどう受け止め、理解しているかが重要なのだと思います。


90年代の南方熊楠ブームに苛立った民俗学者

上記に述べた知の大衆化、普遍化による「読まれ方」の変容の症例をひとつ挙げます。80年代の末頃、角川書店が夏目漱石の『三四郎』や『それから』の文庫に漫画家わたせせいぞうのイラストの表紙画をつけて売り出し、けっこう売上を伸ばしたということがありました。当時、四方田犬彦が「これではまるで夏目漱石が村上春樹みたいな売られ方じゃないか」と激しい違和感を表明してます。
 当時わたせせいぞうは都会的なオシャレな漫画家の最右翼として知られ、呉智英師匠は『別冊宝島 80年代の正体』中で、若者受けするわたせのスマートで清潔な絵柄と、女子高生が「朝シャン」に励み若い男がエステに走る昨今の若者の過剰な清潔志向(生活臭嫌悪)の関連を論じてます(その文章は現在、確か『サルの正義』で読めると思います)。
 この当時は村上春樹がバブル青年男女に「オシャレな文学」として売れた時期です、村上春樹の小説の登場人物は、たいてい生活臭の無い有閑階級の高等遊民で、それは80年代にはもはや珍しくもなんともなくなった存在です、『それから』の主人公長井代助は、確かに明治末の元祖モラトリアム青年で、その生臭さの無い変な清廉っぷり(飢えてない階級の特徴)とかは今の若者とよく似てる。
 しかし、漱石の生きてた当時、明治末に、大学を出ながらろくに働きもせず思索に耽るだけの近代人の苦悩なんて、それこを柏木さんの物言いじゃないけど贅沢な苦悩で、漱石は元祖近代文学者だけにちゃんとその辺はわかって描いてて、実際物語の最期で主人公代助は行き詰まる、ところが、漱石に1980年代末のわたせせいぞうのイラストを冠すると、その近代百年の歴史と経済の重みが一気に脱臭されて忘れられ、まさに「今やニーチェも少年ジャンプも等価だ」という気分で読めてしまう。
 さて、90年代の初め、南方熊楠ブームってのがちょっとありました。火付けは中沢新一の『森のバロック』あたりだったでしょうか。内田春菊や水木しげるが南方熊楠伝の漫画を描いてます。この時、熊楠に冠せられたレッテルってのは「元祖エコロジスト」とか「学閥を否定した独学の徒」とか「日本のせせこましい学界を飛び出した国際派」と、そんな感じで、円高を後ろ盾にした留学ブームや調子のいい学歴不要論の横行する中、あたかも「熊楠こそ僕らの世代の元祖」みたいな能天気な祭り上げられ方をされるに至った。
 この時、大月隆寛氏が、方々でその皮相な南方熊楠ブームに批判を浴びせてるんですね。大月さんは民俗学者だから、南方熊楠の名は一般にメジャーになる前らよく知ってたはずです。大月さんは、バブルのご時世のおかげで普通の家の子でも簡単に留学やドロップアウトのできる今の世と、知識人の価値の重みが根本から違う明治人の南方熊楠の距離の違いをちゃんと認識してるのか、と説いたわけです。
 戦後の高度経済成長のおかげで、ろくに働きもせず、何の役に立つかもわからない遊学に浸っていられる世代でも、安易に自らを漱石や熊楠になぞらえることができる時代! いくら口で言ってることが明治の大インテリと同じでも、それを支える下部構造が、それに費やした苦労の量や覚悟やそこから得られるはずの自己認識も全然違う、しかし、確かに言ってることの字面、額面は同じことが言えてしまう。これもまた高学歴化、教養の大衆化の帰結というわけなのです。


無形の意識としての「近代」

大月さんは固有名を挙げて思想家を称揚することは少なく、言ってることが正しくてもそれだけでは認めません、これは彼のスタイルや志向性が理解されないという不幸の原因でもあります。じゃあ、「民俗学者」大月隆寛が思想の拠り所にしているのはどこにあるのか? それはうまく説明できないけれど、これまでの彼の著作を読む限り、無形の、インテリの啓蒙によってではなく、近代の課程で、民衆が近代のシステムに乗る中で、自然に「下から醸成された近代精神」とでもいうべきものじゃないかと思います。
 例えば大月さんは軍歌が好きで『宝島30』の連載コラム「書生の本領」は軍歌の「歩兵の本領」から取ってたりするんですが、様々な地方から召集された無学な兵卒たちが兵営での共同生活によって醸成された連帯意識、或いはまた、明治の後半から昭和の初め炭坑や鉄鋼所などの第二次産業の労働現場で、都会のインテリ左翼の啓蒙によってではなく、無学な労働者自身によって組織された組合の連帯意識、いずれも近代以前の農村共同体だけの時代には存在し得なかった環境の中で、上から啓蒙されるのではなく自然に生まれ培われた精神、そういったものが大月さんの思想の拠り所なのではないか、と思うのです。
 兵営生活に宿る精神については『あたしの民主主義』収録の江田島の海自見学記や「俄」から採録した若手自衛官の話、また『若気の至り』収録の陸自習志野空挺団体験記(初出は「別冊宝島 裸の自衛隊」)で語られてます。頭の悪い左翼はこの辺の文章のために「大月は軍隊を誉める危険な軍国主義だ」と短絡してる、とんでもない勘違いだ! 大月は兵営の若者に宿る素朴で健全な職業意識や責任感を微笑ましく語りたいだけなんですよ。その一方、大月は『瓦礫の活字を踏みならし』では、彼が学生時代にアルバイトしていた病院で、リアルな小文字の職場問題改善のため自発的に作られた組合組織が、共産党から派遣された指導員によって大文字のスローガンを語ってしまうようになってしまったことへの違和感を述べ、またナンシー関との共著『地獄で仏』では、社会党村山富一の総理就任に関して、村山が旧左翼の幹部にありがちな学歴エリート理論家ではなく九州の田舎の組合活動家上がりであることを前向きに買ってます(これは結局買かぶり過ぎだったようだが)。
 そして大月の代表作『無法松の影』は人力車夫富島松五郎の生き様に、インテリではない、しかし紛れもなく「近代個人」であってしまう男の姿を浮かび上がらせようとしてます。乱暴に言って、日本では「近代人」というのは明治以降に帝国大学の教室で作られたことになってます、しかしそれ以外の場からも明らかに「近代人」は醸成され、生まれたはずだ、ということを掘り起こそうとしているわけです。  例えば、大月さんは数年前の『CREA』の文学特集、また朝日新聞社の人物名鑑『20世紀の千人』シリーズの中などで、火野葦平、長谷川伸、林芙美子、斎藤龍鳳、岩下俊作などといった明治末〜昭和前期の大衆作家を高く評価する文章を書いてます。
 以上に挙げたのは、いずれも無学な底辺の民衆を描いた大衆作家で、確かに、西尾幹二先生が引き合いにするニーチェや西部邁先生が引き合いにするオルテガのような権威ある近代の古典、あるいはデリダだのドゥルーズだのといった現代思想系の人名など、スノッブが喜ぶビッグネームの固有名詞とは桁が違います。
 しかし、そういった大思想家、ビッグネームの方が、口真似はしやすい、なぜかっていうと、それらビッグネームは「思想」だからですね、時代文脈を無視して結論部分だけ模範回答としてパクれるわけです。それに対し、大月さんが称揚する上記の大衆作家というのは明治末〜昭和前期の、インテリではない、しかし近代化都市化産業化の中で、近代個人として育成されていった人々の生活とそこで醸成された思考の具体的デテールを拾い上げて書き残した人々です。
 また、大月さんの、赤松啓介、上野千鶴子との共著『猥談 近代日本の性』なんて仕事はまさに、無形の、というか敢えて言えば口承のものとしてしか残らないような生活に即した民衆のリアリズムに着目した仕事です。上野千鶴子の、とりあえず理屈としては正しいがあくまで理屈でしかないフェミニズム言説と、赤松老人の証言によって夜這いや女郎屋なんかの一見男尊女卑的文化が民衆には支持されていたという事実をすり合わせることで、フェミニズムはどこまで正当かを浮かび上がらせています。これには、所詮これも理屈であるインテリ学者センセイの単純なフェミニズム批判とは違った説得力があります。
 また『あたしの民主主義』収録の平岡正明との「キンタマ論」対談も――単なる下世話放談といえばそうですが――フェミニズム的理屈の正論に対し、無形の民衆的知の復権を唱えているともいえるでしょう。


大月隆寛という不幸

 ――とまあ、実に長々だらだらと書いてきましたが、多分よくわからんのではないとは思います。実際、大月さんというのはよくわかられにくい人なんです。
 思想家に対し大衆作家のジャーナリズムを対置するのはおかしいんじゃないか、と言われそうですが、そこは役割の問題です。先人の蓄積の中から、結論のある「思想」を引き出す作業は、それこそ思想関係の学者である西尾幹二氏や西部邁氏がやってくれてる、しかし、無形のデテールとそこで培われた意識を語る人はなかなかいない、でもこれも必要な役割です、そしてそういうものこそ民俗学の仕事でしょう。  ただ、ここに大月の不幸があって、大月が依拠するような近代過渡期の民衆、兵営なり、下からの組合文化を生み出し得た労働者文化ってもの自体が、都市化と高学歴化、一億中流化、第三次産業中心社会への移項などによって、今や急速に失われてているわけですね。
 例えば大月さんは『あたしの民主主義』巻末の坪内祐三との対談では、火野葦平も吉田満も中野重治もアリの戦争文学集を作るべきだなんて言ってますが、これは重要だと思います。多分、今の若い人には火野葦平の戦争文学とか読まれないでしょう(私もよくは知らんですがね)、それに、兵卒の戦争苦労話といえば、左翼の側が勝手に反戦訓話にすり替えちゃったりしてると思います。しかし本来、底辺の声ってのは、思想の左右と関係無く、底辺の声としてそれ自体の価値があるはずだ、大月さんは、そういうものが忘れ去られていることを「小文字から乖離した大文字」として違和感抱いているんだと思います。
 戦争中、兵卒だった人、将校だった人、上官にシゴかれて嫌だった人、ちきんとした軍人だった人、そうでない人、といろいろいたはずだ。しかし今の若い人、特に『ゴー宣』に共感寄せるような人に、自分が戦争に姿を想像させたら、みんな自分は絶対に二等兵なんかじゃなくて格好良い将校のつもりだと思ってるんじゃないですか? 今の三流四流大学の学生なんて、戦前なら中卒止まりのはずです。でも社会全体が底上げされた結果、意識だけは将校のつもりでいる、こういう傲慢な自意識も高学歴化、第三次産業中心社会化の帰結だったりする。
 そういえば、二年年ばかり前、大月さんと直に会う機会があった時、彼はこんなことを言ってました―― 「左翼の教科書的歴史で日本の近代を語らせると、だいたい『明治維新→西南戦争→自由民権運動→日清・日露戦争→大逆事件→米騒動→大正デモクラシー→昭和恐慌→軍部台頭→戦争→敗戦→レッドパージ→60年安保……』って流れになるんだよな。いや、確かにそうなんだけど、ちょっとまで『それだけじゃねえだろ?』って思うんだよ」 ――確かに、そういう「大きなトピック」を挙げて語れば、それで「歴史」を語った気にはなれてしまう。
 じゃあその『それだけじゃねえだろ?』の「それだけでないもの」というは何かと言うと、これは無形のものだから語り難いんだけど、さしずめ『猥談 近代日本の下半身』で語った下層民の赤裸々な性習俗とその変遷だったり、『無法松の影』で語られた明治後期〜昭和前期の大衆文学の系譜だったりするんでしょろう。
 そういや、大月さんがよく使う言葉に「その他おおぜい」というのがありました。例えば、歴史の教科書から東郷平八郎の記述を減らして幸徳秋水の記述を増やしても、その逆にしても、それは同じことで、歴史は決してビックネームの固有名詞だけで成ってるわけじゃない、左右どちらの立場からにせよ、何か肝心の部分が抜け落ちたものになることが避けられない、ということでしょう。
 「民俗学者」大月隆寛が依拠するような「民衆」「無形の知」はこれから空洞化してゆくでしょう、それは不可逆的に仕方なく、大月さんもそのことには気付いてるはずです。若者はそれをそもそも知らない、大人は、知ってても言語化してない、あるいは、福田恆存とか丸山真男とかいう固有名詞で語ることができてしまう「大文字の知」へのコンプレックスのためにその価値や意義に気付かない。大月さんはそういう消え行く口承無形の知の存在をどうにか形にして残そうとしている最後の人間なのです。もっとも、皮肉なことにそれに気付いた大月自身が「民衆」「無形の知」の体現者かと言えばそうではない。しかし、自分がそうでないからこそそれに着目したんであり、民俗学というのはそういう学問なんだと思います。


補足:産業構造の変化と言論の空洞化

大月さんが小文字の物言い復権にこだわるかという理由には、これも彼がたびたびあちこちで良く使う言葉の、ポスト高度経済成長社会、学校化社会(乱暴に言って、高学歴化社会という言葉とほぼ重なる)という問題があると思います。
 大月さんの『無法松の影』を読むと、大月さんなりの、彼にとっての父親の世代への世代的な断絶感、自分が子供の頃、自分の親父がよくわかんない存在だった、それってどういうものか、ってことを30歳過ぎて自分が今やオヤジになった視点で問い直す作業だったという感じが強くあります。大月なりの「近代日本を作ったブルーカラーへの畏敬の念」が匂ってる、というか。
 先にも書きましたが、明治後半〜昭和前期まで、日本には、徴兵されて兵営で同じ釜の飯を食った者同士の連帯感とか、また炭坑や鉄鋼所のような第二次産業従事者の組合のようなブルーカラー文化ってものがありました。また、商業高校に通った小林よしりんのように、複線的な就職進路が当然のようにありました。しかし、高度経済成長が頭打ちになった1970年代あたりから、大幅に第三次産業中心社会になり、また、進学率が異常上昇し、普通科文系進学コースばかりが肥大化し、世界に類を見ないほど、高学歴化、均一に中流化した社会となりました。
 しかしそれって、自分たちの生活を成り立たせる「生産の現場」が見えなくなった、ってことではないか、と。
 この辺、欧米の方がまだ健全に、複線的な進路とか、ブルーカラー文化ってものがきちんとあります。イギリスなんてのは化石のような階級社会で、パンクロックもサッカーのフーリガンも労働者階級の文化です。で、そういう複線的な、階層差のある文化、生産の現場、もっとはっきり言えば貧富の差というものが無くなると何がまずいか? 「経験の知」が衰えて、観念的な「情報」ばかりになってしまうということですね。
 例えば、おたくにはナチス好きが多いですが、ナチズム運動はもともと、第一次大戦から復員してきた失業兵士の集まりで、彼らはドイツ各地から召集された農家や町人の次男坊三男坊やらで、それが前線の兵営の共同生活下で「国民同胞」という連帯意識を身につけ、戦時中銃後でのさばっていた貴族や資本家を打倒し、自分らこそが明日のドイツの天下を取るんだ、という壮士に転じていったもので、つまり彼らは、ブルーカラーであり、無名の兵卒たちの運動だったわけですよね……私は、こういう気分は良く分かる。 ナショナリズムは近代のフィクションだと言いますが、民衆にとってのそれは、指導者から啓蒙されたものである以上に、兵営なり、労働の場なり、具体的な「現場」の連帯感を媒介にして成り立ったもので、大月さんは、多分そういう雰囲気は好きなんだと思います。 しかし、現在の日本の通俗ナチ好きおたくはこうしたルーツ部分を何らわかってない、時代の文脈と切り離して、政権獲得後のナチのファッション部分の外面的格好良さ、あるいはイデオロギー的スローガンを口先だけまねているだけ、大月さん流に言えば「コスプレ右翼」でしかない。
 もう一つ例を挙げると、オウム真理教のメンタリティのありようとかにも同じ病が見える。彼らの世界観ってのは、典型的な、偏差値秀才なんだけど、第三次産業だけで育った、そう言って良ければ「おたく」世代特有のメンタリティです。これは浅羽さんが指摘してたんだけど、オウムには「諜報省」とか「科学省」はあっても「農林水産省」とか「通商産業省」は無かった。彼ら完全に第一次、第二次産業をナメてる。そういえば故・村井を初め、オウムの理科系幹部は優れた「科学者」ではあったけど「技術者」ではなかったように見える。或いは、オウムというのは、なんだか偏差値の高い将校と上官に忠実な兵卒のみで下士官のいない軍隊、という感じが凄くする。
 彼らの資金源がソフトウェアという情報産業なのは実に象徴的です。「情報」だけで動いてる組織集団の病(思考の観念化)という点で、皮肉な話、オウムってのが、将来の日本の縮図になるのかも知れない(やだなあ)。


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