山賀博之かく語りき ●90年代の発言 「『エヴァンゲリオン』が終わった直後に、庵野が宮崎さんに対して言ってた のは、「俺はフルチンになれるけど、宮さんはいつもパンツをはいてる」って (笑)。僕は「パンツをはいてる方が人間として正しいと思うけど」なんて言 っていて、相当大きいものを丸出しでそこら辺を歩き回られても困るよという 話をしたんだけど、でも、そのパンツ一枚の部分なのかな、ピンときていない のは(笑)」 「庵野はいたずらにドラマを作って、イタズラに人を泣かせるような方向で引 っ張っていって、客がそういうところに浸っていると、「浸ってるんじゃねぇ ぞ、コラッ」っていって蹴飛ばしてるような、わけわかんねえな、この店みた いな(笑)」 ・『ユリイカ』臨時増刊「宮崎駿の世界」(青土社 1997年8月25日発行)若 手監督座談会「『もののけ姫』をいかに生きるか」(是枝裕和・篠崎誠との鼎 談)より ……「もののけ姫」公開直後の発言。この『ユリイカ』臨時増刊「宮崎駿の世 界」中、他の寄稿者が、ともすれば今や「大家」になってしまった観もある宮 崎監督に恐れ入ってしまっているか、あるは産業としてのアニメの製作現場と いったことは敢えて一切捨象した上での純粋な作品論で語っているのに対し 「アニメの監督・アニメ製作会社の社長」という意味である種もっとも宮崎氏 と立場の近い山賀氏がもっとも遠慮なくストレートに意見を述べているのは興 味深い。山賀監督は宮崎駿監督を高く評価しているが、その一方では「あの人 はパンツ脱いで見せてないよ」とも斬っている。この評価は今に始まったこと でもなく、93年に刊行された同人誌「『逆襲のシャア』友の会」中でも同様の 事を語っている。 なお、同じ文章中、山賀氏は庵野カントクの「エヴァンゲリオン」について 「なんて面白いものを作るんだこいつは!」と思いながら観ていた、とも発言 している。 「従来のセルアニメでは自分の手で描いてたわけでしょう? 絵コンテなり動 画チェックなりは全部自分で見ていたわけですが、コンピュータになると、途 端にオペレータに頼ってしまう、瑣末的な修正やコントロールまでやれとは言 いませんが、少なくとも絵コンテぐらいはそれで作ってみろと言いたいです ね。実際には、監督や演出家は最低限、今までとは画材が変わったんだという 認識は持って欲しいです。」 ・『別冊宝島303 アニメの見方が変わる本』(宝島社 1997年9月2日発行) 「デジタルアニメの未来」より ……従来のセル画によるアニメ製作からデジタル化への技術的移行に触れての 発言。職場ではDTPも画像ファイルの修正も出来ない自分なんぞには耳の痛 い話である(苦笑) アニメのカントクとは、ソファに座ってメガホンで指揮するばかりでなく(そ りゃアニメじゃねぇか、元々)、常に最新の技術を学び、自ら絵がいじれなき ゃダメ、ということか? こうした姿勢はGAINAXという会社自体が元々、 低予算の下何でも自分のみでこなすアマチュア映像集団から出発しているあた りとつながっているのかもしれない。そういえば山賀氏と庵野氏が私淑する富 野由悠季カントクや宮崎駿カントクも、人手がなけりゃアニメーターやら原画 描きなんて下っ端仕事もこなす多芸の人であった。 「あの人たちは……って俺もだけど、同人誌活動をしてて、同人誌活動が単に メシの種になってるだけであって「仕事」じゃないと思う」 ・同人誌『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』(1993年12月刊行) ……ただ好きな物を作ってるだけの同業者について触れて。直前の、小黒祐一 郎氏の「マクロス」に触れて「おこぼれで作ってるから一般性がない」という 言葉に応えて。「たまたまシュミが商売になって喰えてるからっていい気にな るなよ」ということか? なかなかキツい言葉であるが「王立宇宙軍」という 作品が目指した機軸を考えれば山賀氏らしい見解であろう。 「だから(他のアニメスタッフは)口で言ってる理由があの当時の富野さんと まったく同じであっても、それに対する処し方が全然違う。なんか半分嬉しが ってそんなこという。「やあ、女の子出したら売れますから」とか「やあ、ロ ボットはこうでないと売れませんから」とか、「やあ、ファンはこういうのが 好きなんですよ」とか。極めて不真面目な業務態度を感じるんだ」 「何度も言うけど、大抵の人は同じように愚痴をこぼすけれども、うれしそう に愚痴をこぼす。今の人はね。で、遊んでんだよ、どこも辛そうじゃない」 ・同人誌『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』(1993年12月刊行) ……富野由悠季監督はスポンサー側の意向やマーケティング的な制約に圧迫さ れつつ、しかしその枠内で作品に作家性を盛り込む努力をしてきたが、同年代 のアニメ製作者はむしろスポンサー側の意向やマーケティング的な制約の存在 を言い訳に、ルーティン・ワークで作品をきちんと作らず、趣味を作品に反映 させてお茶を濁しているんじゃないか、という痛烈な言葉。実際「女の子」や 「ロボット」が売れる要素であり、作り手自身もそれが好きなのも事実であ る、しかし「ヴァンゲリオン」はそうした要素を盛り込みつつ他の作品の追従 を許さぬ突出を果たすこともできた。要は作り手がどれだけ本気かなのだ。 「プロとアマチュアっていう意味で、プロが偉いとかそんなふうには思わねえ けど、俺だってアマチュアだって思ってるけど、なんだかなあ、中途半端なも のはやっぱり美しくないとは思う。いや、楽しいことは、もちろん中途半端に なっちゃうはずだから、美しくはなくなる……楽しいことと美しいことは背反 しちゃうもんだと思う。美しい物をよしとする世界観で行けば、やっぱり中途 半端なものはだめなんだ」 ・同人誌『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』(1993年12月刊行) ……押井守監督の『パトレイバー2』、宮崎駿監督の『紅の豚』に触れて、み っともなくかっこわるい自分自身というものをどれだけフィルムに表現してみ せるか、というような話から出てきた言葉。プロ・アマ、ということに関係な く、作品を作る以上は潔く「自分」を見せろ、ということか。ここで山賀監督 が言う「楽しい」とは作り手自身にとっての目先の快楽であり「美しい」とは 実存的評価のことではないかと感じられる。 「だって私は『ウル』やるしかない……そういったら、富野さんが『ガンダ ム』やらなきゃいけない以上に私は『ウル』やるしかないんですから。」 ・同人誌『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』(1993年12月刊行) ……私ごときが多くは余計な解説などしたくない言葉。『ウル』の企画が凍結 され、当然「エヴァンゲリオン」のヒットという幸運もまだその予兆さえなか った時期の発言である。 |