山賀博之かく語りき


(不完全版)

と、いうわけで、以前から予告だけはしていた、これまでほとんどのメディア で取り上げられたことのない「『王立宇宙軍』監督、山賀博之氏のインタビ ュー発言など」の再録です。 ※お断り:おそらくWEB上でもこんな物を再録してるのは多分ココだけなの で、下手をすると本ページ作者の恣意的抜き出しによって「山賀監督のイメー ジ」が偏見的に形作られる恐れがあるかも知れませんが、まぁココで取り上げ た発言は、あくまで本ページ作者のいい加減な選択によるものと御了承の上で お読み下さい。
●「王立宇宙軍」公開当時(1987年)の発言 「とにかく、宇宙に行くこと自体は、特に問題がないと言うか、行かなくても いいんですよ。それよりも、現実がある中で、その延長上にちょっと現実から はみ出した部分に何か新しいものが見えるようなものができないかと考える と、宇宙まで行かないとダメだったということです。」 ・『キネマ旬報』1987年3月下旬号(キネマ旬報社 1987年3月15日発行) 「オネアミスの翼〜王立宇宙軍 特集1/対談 山賀博之vs宮崎駿」 ……映画公開当時に刊行されたBクラブ別冊の『オネアミスの翼 王立宇宙軍 コンプリーテッドファイル』に収録された「企画書」にも明記されているが、 この映画の趣旨は、現実よりも空想の世界の刺激を求めるアニメファンや現代 の若者達に対し、一見見飽きられている現実の中の新鮮な冒険を提示すること だった。あいにくというか世代的ズレというべきか、当時の宮崎駿監督にはそ の意図が今一つぴんと来ず、リアルさにこだわらずもっと荒唐無稽な世界描写 にしてしまえば良かったのに、というようなことを言われてしまっての発言。 宮崎監督とかの世代には、ある種、アニメという表現自体、自由な想像力の翼 によって現実を相対化し物語の中に理想の世界を描ける、という物だったのか も知れない。だが、時代は逆にそこの居心地の良さに安住してしまう若者を生 み出すようになってしまっていた。「王立」はそこに亀裂を入れることを狙っ ていたのだ。 「確かにやろうとしたのは若い世代だけども、やった人間は若い世代だけじゃ ないという所が、すごく重要だと思う。」 「意地を通したいけど、勝てない戦争をなんでやらなきゃいけない。ジジイと 若者が、僕らが打ち上げると思って打ち上げたロケットだと思ってもらっちゃ 困るというところがあったんです。あれは、あくまで国がお金を出して作った ロケットで、だからああいう形なんです。」 ・『キネマ旬報』1987年3月下旬号(キネマ旬報社 1987年3月15日発行) 「オネアミスの翼〜王立宇宙軍 特集1/対談 山賀博之vs宮崎駿」 ……この山賀×宮崎対談、意外にも、若手の筈の山賀監督の方が状況論的な語 りを、年輩の筈の宮崎監督の方が主観的な語りをしていて、どうも宮崎監督は 「宇宙軍の若者はジジイに引っ張られただけじゃないの?」「何でしろシロツ グは最後で祈るの?」とか少々ご不満気な感想を述べている。それに対し、主 観的世界観だけでなく、自分らが膨大な人間の連なりの末端として生きて事を 為していることを見せたかったらしい山賀監督が語った言葉。 過程をリアルに描いていれば若者のヒーローだけで成り立つ物語ではなくなる のが当然、また同時に山賀監督は「おめぇら一人で生きてるんじゃないってこ と自覚しろよ」という事が込めたかったんではないだろうか。 この発言で宮崎監督は一応納得した模様であったが、宮崎監督も全体としては 「王立宇宙軍」にはかなり好感を抱いていたようだ。 「宗教を無視して、オレは宗教なんか知らん、宗教はいらん、ってところでや ると、どうしても後ろ髪を引かれる。ああ、宗教を信じてる人はいるんだし、 悪いことじゃないはずだ……オレの友だちで宗教を信じてるヤツも悪いヤツじ ゃないし、バカだから宗教に惹かれたというもんでもないだろうし…。  何か、そういう風に考えると、どうしても割り切れないんですよね。割り切 っちゃった方がいい作品になったかもしれないけど、今回は最初から割り切ら ないで、とにかく全部入れて、全部認めちゃったらどうなるかみたいな、それ で得られる解放感のようなものを僕自身が味わいたいというのがかなりあった んです。  それでいくと、最後の時点でリイクニを否定することはできない。でも単純 に肯定することもできなくて、そういう位置づけは映画ができ上がってから納 得がいくだろうという感じだった。」 ・『OUT』1997年7月号(みのり書房 1987年7月1日発行)「オネアミス の翼〜王立宇宙軍 メインスタッフ座談会」(参加者は、山賀博之、岡田斗司 夫、貞本義行、赤井孝美、庵野秀明、井上博明、樋口真嗣、大徳哲雄(OUT 編集部)) ……「王立宇宙軍」という映画の評価で、シロツグとリイクニの関係が最後ま で中途半端ではっきりしない点に不満を感じる声が時おり聞かれるが、山賀監 督が敢えて判断保留の中途半端な描き方を取った(当時の)心境。 しかし考えてみると、富野監督の『逆襲のシャア』も押井守監督の『パトレイ バー2』も宮崎駿監督の『もののけ姫』も、そして庵野カントクの『エヴァン ゲリオン』も、最後は、現実否定をやるところまでやって、しかし問題ある現 状と共に生きるというような結論に行きついている。ま、現に自分は生きてん だから当たり前の答えなのかも知れないが。 「テクノロジーがダメならエコロジーの方向で、エコロジーがダメならテクノ ロジーの有意義さを示さなきゃいけないのだろうけど、僕はハナからそんな新 しい世界はありません人間は滅びるしかありませんよ、というのがどうしても あって、でも、それを悲しがってもしょうがないし、ダメだからって一緒に電 車に飛び込んじゃダメですよ、ダメでも仲良くやっていきましょうよ、という ことなんです。」 ・『OUT』1997年7月号(みのり書房 1987年7月1日発行)「オネアミス の翼〜王立宇宙軍 メインスタッフ座談会」 ……世界に対する無力感、「人間は卑小な物だ」「人間の文明はちっとも素晴 らしくなんかない」という感慨は前提だ、でも、だからってそれでおしまいじ ゃあないだろう。この山賀監督の言葉は、「人間は無力だ」言って冷や水かけ て終わりにする80年代相対主義ニヒリズムから一歩踏み出す決意を明らかにし ている。 「ロマンチックはどこにあるかというと、リアルをつきつめたところにある。 ロマンチックをロマンチックと感じている本人は、実際はリアルに感じている はず。ロマンチックというのは「女が一人いる。自分はこの女にホレている。 この女の徹底的に悪いところが見えている。人間的に、いい所も悪い所も全部 見える。それでもこの女に惹かれる」といったものではないでしょうか。  と、すれば、徹底的にロマンチックな所を排除していって、リアルを追求し ていった先には、とてつもないロマンチックがある。  そこで、僕らは良く言われているような異世界観を追求したのではなく、あ くまでも、現実っぽい現実世界を再構築させるべく、現実を追求したんです。 そのために様々な手段をとってみているんですよ。」 ・『B-CLUB SPECIAL オネアミスの翼 王立宇宙軍 COMPLETED FILE』(バン ダイ 1987年3月10日刊行) ……異世界オネアミスの世界観を語る発言の中での言葉。映画「王立宇宙軍」 におけるリアル志向とはどういうことなのか、とううことだが、これはそのま ま山賀監督の物語観、現実認識の建て方の基本なのだろう。


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