「ナッシング・パーソナル」 ’95英&アイルランド
原題 NOTHING PERSONAL
監督 サディアス・オサリヴァン
出演 イアン・ハート、ジェイムズ・フレイン、ジョン・リンチ、ジェニ・コートニー
評価 ★★★☆
<内容>
1975年ベルファスト。街のあちこちにはバリケードが築かれ、IRA系の一派と反IRA系の一派が抗争を行っていた。破壊活動、それに対する報復と、悲劇は延々と繰り替えされる。そしてその争いの日々は、子供達の心にも深い影を及ぼしていくのだった・・・。
<感想>
英国からの独立を目指す戦いが、国家を南北に分断されたことにより、宗教的闘争へと変化していったという悲劇。北アイルランドにおける内部闘争は、その戦いの根拠が複雑なだけに、その根は深く、解決への道は険しい。この映画は、テロ活動を支える最下層の実行部隊を構成する者たちの悲しい戦いの一部を描写している。
子供の頃は、同じ丘で手を繋ぎ合っては遊んでいた友人達が、大人になってからは互いに銃を持っては殺し合う。話し合えば分かり合えるかも知れないといった思いを抱いても、信じるもの違いが、それを打ち砕く。かつての友や、友に成り得たかも知れない人達をこの手で殺すと言う行為。心は千切られようとも、大儀のために遂行するという姿勢。このような悲劇が、日常に起きている世界・・・。
そして、そんな世界でも子供は産まれ、その中で育っていく。歪な人間関係を、普通のものとして見続け、成長していくということ。これが最も悲劇的なのかも知れない。
どうも、映画のレビューとしては異質なものになってしまいました。しかし、このような思いを抱かせるということが、この映画の意義のような気がします。
「ニック・オブ・タイム」 ’96米
原題 NICK OF TIME
監督 ジョン・バダム
脚本 パトリック・シェーン・ダンカン
撮影 ロイ・H・ワグナー
音楽 アーサー・B・ルービンスタイン
出演 ジョニー・デップ、クリストファー・ウォーケン
評価 ★★★
<内容>
妻の弔いを終え、幼い娘と共にロサンゼルスにやって来た会計士のワトソンは駅で警察官を装う二人組の男女に突如拉致される。彼等は娘を人質にし、ワトソンに対し、「午後1時半までに女性州知事の暗殺を実行せよ」と命令する。彼に残された時間は90分。急ぎタクシーに乗り込み、知事の公演が予定されているホテルに向かった。何とかしようと試みるが、警備の人間も暗殺側の一員だった。果たして主人公の運命は・・・。
<感想>
実際の時間と、映画内の時間が完全にシンクロしているという構造を取り、視聴者も主人公同様、ハラハラしながら最後まで見終えることが出来る。しかし、個人的に気にかかる点が二つ。
一つ目は趣味の問題かもしれないが、ジョニー・デップに緊張感漂う演技が似合わないのでは?ということ。クリストファー・ウォーケン演じるスミスが彼を脅迫する場面での緊迫感が、どうも薄い。映画の内容からいって、ジョニー・デップでやる必然性は無いわけだから、他の俳優を使えば良かったのにと思う。
で、2つ目。なぜ、知事の暗殺に素人を使うのか?ということ。しかも、殺す90分前に駅でピック・アップしたような者にだ。杜撰でほとんど無計画な仕事であるというのならいざしらず、セキュリティー陣まで抱き込むという容易周到さからは、およそ考えられない設定だ。もし、素人で無ければならないという理由があるのならば、作品中に明示するのが義務というものだろう。だが、そのようなエピソードは作品中に挿入されていない。
とはいえ、トータルで見た場合。設定の奇妙な点さえ気にしなければ、結構お勧めのサスペンス。ジョニー・デップのファン以外の方も見てみて下さい。
「憎しみ」 ’95仏
原題 LA HAINE
監督・脚本・編集 マシュー・カソヴィッツ
撮影 ジョルジュ・ディアーヌ
美術 ジョゼッペ・ポンツーロ
評価 ★★★☆
<内容>
舞台となるのは、華やかなパリと異なり荒廃とした都市バンリュー。若者達は、権力をふりかざす警察に対し怒りを抱いていた。そして物語は、ある警察官の暴力事件が発端となり、暴動が起きてしまった日の翌朝から始まる。
ザイード、ヴィンス、ユベールの3人は、怒りの対象のはっきりしない鬱積した想いを抱え、毎日をダラダラ過ごしていた。しかし、暴動の夜の混乱の最中、ヴィンスが偶然に警察官の落とした拳銃を手にしたことから、全てが狂い始めていく・・・。
<情報>
「天使が隣で眠る夜」に主演し、役者としても評価の高いマチュー・カソヴィッツ監督。本作により、若干27歳にて95年カンヌ映画祭最優秀監督賞を受賞する。また、本作をいたくお気に召したジョディー・フォスターにより、全米公開され、次回作「アサシン」は彼女がプロデュースすることになった。
<感想>
まず驚かされたのが、まるでアイルランドのベルファストやアメリカの多くのスラム街のような風景が、フランスに存在するということ。そして、そこではアラブやユダヤ、黒人が人種に固執することなく、共存しているという事実。まるで、救いのない物語なんだけれど、その点に少し光明を見る思いがした。
監督は、作品中に数度挿入する逸話「50階から翔び降りた男がいた。そして男は落ちて行きながら1階毎に考えた、まだ大丈夫、ここまでは大丈夫。問題は着地だ、と・・・。」により、我々により、同時代に生きる若者達の気持ちを代弁している。
「ニル・バイ・マウス」 ’97英
原題 NIL BY MOUTH
監督・脚本 ゲイリー・オールドマン
制作 リュック・ベッソン
撮影 ロン・フォルチュナート
音楽 エリック・クラプトン
出演 キャシー・バーク、レイ・ウィンストン、チャーリー=クリード・マイルズ
評価 ★★★
<内容>
レイモンドは義弟のビリーが彼のドラッグを盗んだことに腹を立て、彼の鼻に噛み付いた。怒りにかられたビリーも、レイモンドの留守中に空き巣に入る。ますます激怒するレイモンド。やがて、彼の怒りの矛先は妻ヴァレリーにも向いていくのだった・・・。
<豆知識>
監督は、役者として有名なゲイリー・オールドマン。出身国であるイギリスはロンドンのサウスイーストを舞台に、この作品を撮っています。麻薬常習者とその家族の日常を綴ったこの物語は、監督の実体験に基づいているとのこと。
この作品で主演を演じているキャシー・バークは、この作品での演技が認められ、1997年度のカンヌ映画祭にて、主演女優賞に輝いています。またエイリー・オールドマンは、エジンバラ国際映画祭最優秀監督賞を受賞しています。
<感想>
この映画を見ていると、出口の無い迷路をさまよっているかのよう。救済の無いドラマは、愛と憎しみが入り混じり、混沌としている。作中人物達の持つ心の痛みばかりが胸に伝わってきては切ない。輪をかけて、枯れた旋律を奏でるクラプトンの音楽が、哀愁を誘う。
犯罪者の形質は遺伝するという、人間性悪説的な説がある。しかし、私はその説に懐疑的だ。多くの犯罪者は、生まれ育った環境によって、その性質が決まっていくという説に説得力を感じる。この映画に登場するキャラクター達も、環境さえ異なれば、違う生き方を選べたかもしれない。しかし、生まれ育つ場所を選ぶことは、誰にも出来はしない。運命的なものであり、それこそ「神のみぞ知る」というものだ。そう、だからこそ、この物語は切なく、見る者の心を強く締めつける。
「猫が行方不明」 ’95仏
原題 CHACUN CHERCHE SON CHAT
監督・脚本 セドリック・クラピッシュ
撮影 ブノワ・ドゥロム
美術 フランソワ・エマニュエル
出演 ギャランス・クラヴェル、ジヌディヌ・スアレム、ルネ・ル・カルム
評価 ★★★★☆
<内容>
パリに住むメイクアップ・アーティストのクロエは3年ぶりのバケーションを数日後に控えているのに、未だ猫の預け先が決まらない。人伝てに訪ね歩き、やっと老女マダム・ルネに預けることが出来た。憂いも去った彼女は、安心して旅に出る。
数日後、旅から返ってきた彼女にマダム・ルネは、猫が一昨日から行方不明であると告げた。
かくして、猫の大捜索劇が幕を開くのだった・・・。
<感想>
最近、新人監督達の作品を好んでみています。彼等の作品群には今までの映画には感じられなかった、新しく爽やかな息吹を感じること出来るからです。それらは軽快なフットワークで、物語を生き生きと展開していきます。そして、それらの映画からは暴力や、死の香りといったものが、あまり感じられません。なぜなら、人との付き合いから見つけたささやかな発見、そしてそこから導き出される生きることの喜びに物語の主題がおかれているからです。
そして、今回紹介する「猫が行方不明」というフランスの映画も、これらの作品群と同じ位置に置いて良いでしょう。
主人公であるクロエは物語の中で、様々な人との出会っていきます。それは、決して楽しいばかりの出会いではありません。嫌な気持ちになることもたくさんあります。しかし、そんな人々との交流は、彼女の中でなにかを形作っていきます。そしてそれが形を成す過程は、彼女が少しづつ成長していくことと同義でもあります。
エピローグにおいて、クロエはほんの些細な発見から、通りを駆け出します。それは彼女がとても幸せな気持ちにつつまれたからです。この天国的な状態は、人の生を豊かにする原動力であり、人々が幸せになる可能性の根源です。この瞬間を、多少なり、彼女と共有することが出来るれば、あなたの世界に対する見方も少し変わってくるかもしれません。
