人喰い病「人喰い病」 ハルキ文庫
著 石黒達昌

表題である「人喰い病」を含む4つの中編を収録した、全て書き下ろしの作品集。

石黒氏の作品には本業である外科医師、研究対象である癌転移を反映してか、科学用語が多い。そこが魅力の一部でもあるのだけれど、これにより難解というレッテルを貼る評価が多い。科学アレルギーの多い文壇においてはしかたのないことなのかもしれないが、悲しいことだ。

けれど、エンターテイメント小説の分野に目を向けると、「パラサイト・イブ」「リング」など、氏の作品に似たテイストを持った小説も多い。(今上げた作家達は石黒氏の影響を受けてもいる。)

これまでの石黒氏の作品発表の場は文芸誌であり、本の出版も文芸作品中心の出版社であったがために読者の層も限られたものであった。しかし、前作「新化」がハルキ文庫に収められることにより、今作もハルキ文庫からの出版となった。先に挙げた作品などと同じフィールドでの作品発表である。一般の読書家に認知、評価していただく絶好の機会と言えるだろう。

さて、作品についての話をしないわけにはいかない。

表題作である「人喰い病」は北海道の神居村で起こった謎の病気を解明する課程が、ミステリー小説的手法で描かれている。最初は発疹程度だったものが数日も待たずに前進に広がり、最悪の場合体が人としての原型を留めぬまでに融解してしまう。残された患者の遺体からは、ウイルスも寄生虫も発見されなかった。症状が放射線を浴びた際のものに似ているということで調べるも、病との相関関係は無かった。感染源を特定すべく患者達の行動範囲をしらべると、ある沼に行き着いた…。

どうだろう。興味を引かれないだろうか?次々と病が解明されていく課程はスリリングであり、息を付く暇もない。そして、ことが収束した折りには、なんとも言い難い余韻に包まれる。これは氏の作品を読むといつも感じる。叙事的な小説を読んでいたはずが、叙情的な作品を読んだような余韻を感じるのだ。DRYな内容の話を読み終えたら、WETな気分になったと言い換えても良い。このフィーリングは是非体験してもらいたい。絶品の作品集である。

「新化」 ベネッセ・コーポレーション
著 石黒達昌

ここ数年、その動向が最も気に懸かる作家。氏の作品を掲載していた文芸誌「海燕」が廃刊されたため、今後は書き下ろし中心になるのだろうか?

作者自ら続編では無いと語るが、「平成3年~」を読み終えてからのほうが、「新化」はより楽しめると思う。絶滅した種「はねねずみ」の再生を主軸に、遺伝子操作の問題を示唆的に読者に対し、提示する。
神居古譚を舞台に、作者は続きを書きそうな気がする。

もう1編の「カミラ蜂との七十三日」では、ある日突然、カミラ蜂という昆虫につきまとわれた男の顛末を描く。進化とは、ある種がより繁栄していく為だけの変化なのだろうか?読了後、私は「滅び」という因子の存在を感知したような気がした。

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ハンニバル「ハンニバル」新潮社文庫
著 トマス・ハリス
訳 高見浩

「レッド・ドラゴン」「羊たちの沈黙」に続く、レクター博士シリーズの最新作。前作から、11年を経ての刊行。

前作「羊たちの沈黙」に続き、今作もレクター博士とクラリス・スターリングの二人を主軸に物語りは進んでいく。前作ではFBI訓練生であったクラリスも32歳となり、FBIの特別捜査官として活躍している。

さて今作、前作まではある程度のリアリズムを持っていたため、読者には身に迫りうる恐怖として実感をしながら読みすすめることができた。しかし、今作で語られる数多の惨劇はかなり浮世離れしており、レクター博士の超人ぶりがやたらと目につく。 レクターの内面を語る箇所にも多く物語は割かれているのだけれど、彼の暗黒面を語るにはまだまだ物足りない。これでは、まだレクター博士の人物像が浮かび上がり切れていないように感じる。
とはいえ、嗜好として、カニバリズム(食人)を平然と行う彼を理解したいとも思わない。

善悪という規範を超越し、欲望(それは彼なりに律せられているが)のままに行動するレクター博士。彼の大活躍する今作は、何色にも染まることのない、暗黒の小説だ。まともと言われる精神(こころ)の持ち主にはお勧めしかねる毒書である。

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空のオルガン「空のオルガン(全8巻)」
集英社 ぶーけコミックス
著・画 竹坂かほり

いつも手近に置いておく漫画がある。心が荒んできたと感じたり、人との関係に悩んだりした際に、それを手にする。

時は、世界が大いなる争乱へと傾きつつはじめていた昭和の初め。舞台は横浜である。 主人公である恵庭ゆきは、音楽を愛し、オルガニストを志す青年である。しかし、この時代、現代とは比較できぬほど、望むがままに生き抜くことが出来ない、辛い時代であった。彼の通う音楽学校においても、軍事教練が行われている。
そんな世界で彼は、過酷な時代でも、いや、過酷な時代だからこそ、自由に生きることを切望し、そのように生きようとする人たち、そして、そのような生き方を貫くが為に、社会的に弱者としての生き方を強いられる人たちとの出会いと別れを繰り返す。全てのエピソードにおける登場人物達の描写、彼らの言葉が、胸を締め付ける。
そして、やがて彼自身にも過酷な運命が訪れる。そこで彼は、自由への逃避では無く、不自由を選ぶ自由を選択する。「生きるためにはなんでもする。恥のためには死なない。」と言い切った彼がである・・・。

全てのことには意味がある。この作品との出会いにも。作品中の主人公の死、その他の登場人物、いや、全ての人の死にも。そうでなければ、いや、そうであると信じなければ、どうして、今を生きることが出来よう。この物語は、痛切にこのことを感じさせてくれる。

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「黒い家」 角川書店
著 貴志祐介

保険の支払い査定主任を主人公に据えた、新感覚ホラー小説。
第四回日本ホラー小説大賞を受賞。

この物語は、超常的な怪異によって読者に恐怖を与えるという手法より、日常に潜む異常性を追求した方が、今日的状況においては、より恐怖を演出出来るということを見事に証明している。何故なら、この物語で見られる異常なキャラクター達は、多少なり誇張された形であっても、(接客業等の)対人関係の多い方は、日常にて出会う人々だったりするから。つまり、この物語で語られるような事件が、他人ごとではすまされない身近でも起こりうる出来事であると気付いたとき、この物語は更なる恐怖感で読者に襲いかかってくるのだ。

これは心理学関連の書籍を読んだ時にも、まま感じる恐怖感では有るが、こちらは物語ということで、深層にまで浸透してくる感じを受けた。

「所詮物語の中での絵空事さ」と、他人事のように構えることを許さないこの作品は、読了後も嫌な余韻を引きずって、後に残った。

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「SKIP」 新潮社
著 北村薫

「17歳の少女が、気付くと25年後の自分の中にいた」という設定のもとに、綴られた物語。

考えて見ると、これほど残酷な物語も無い。17歳の少女が気付くと25歳も年をとっているのである。その25年間は17歳の希望や夢を、現実に変える可能性に満ちた歳月であったはずである。けれど、この物語の主人公には、その25年間を体験することも、体験したという記憶も無い。なんと、切なくなるような話であろうか。
しかし、主人公はその境遇を悲しだりしたりしていては、<私>(25年後の私を<私>と表記させていただく)があまりにも惨めだと、前向きに生きていく覚悟を示す。もちろん怖いであろう。声も張り裂けんばかりに叫び、全てが元通りになるまでふさぎ込んでいたくもあろう。だが、少女は凛として、世界と対峙する。この勇気、この生き方、すべてが感動的である。

作者に、主人公に心からの感謝を込めて「ありがとう」。素晴らしい時間を、物語の登場人物達と共に過ごすことが出来ました。

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「五線紙」 文芸書房
著 青木洋

誰にでも、思い返しただけで胸の奥底が熱くなる出来事があると思う。それは過去のことなのだけれど、妙に鮮明で、記憶の海の中では、重要な場所にその位置を占めていたりする。当時はそのことに頭を掻きむしるほど苦しめられ、何日も眠れぬ夜を過ごしたりしたものだけれど、時間という最良の薬が少しずつ癒やしてくれたおかげで、今では懐かしくすら感じることが出来る。そんなことを、この物語は僕に喚起させてくれた。今後の作品も期待したい。

新世代の映像作家と呼ばれる人たちの作品を見ていると、過去の作品とは次元を異にする恋愛像を見ることが出来る。どういったものなのか、これを巧く表現する言葉を私はまだ思い付かないのだけれど、「恋人までの距離(ディスタンス)」、「ミナ」あたりがその好サンプルと言えるだろう。そして、この物語にもその恋愛像が見い出せる。これは意図的に出しているものではないと思う。あくまで同時代的感性の産物なのではないか?ドライという言葉では割り切れず、余ってしまう想い。この割り切れない想いのことを、僕はよく考える。ここら辺に閉塞感漂う世紀末を読み解くための鍵が隠されているような気がするから。

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「DOS/Vブルース」 幻冬舎
著 鮎川誠(SHEENA & ROKKETS)

日本ロック界では古参に入るであろう、鮎川誠氏率いるシーナ&ロケッツ。この本は、その鮎川氏によるコンピューターとの出会いから、ホームページを作成するに至るまでの日々を綴った、格闘の記録である。
海外と比較して、日本のロック界はインターネット導入率が低い。そしてアーティストの年齢が上に行けば行くほど、その率は反比例するかのように低くなっていく。その状況に不満を持ち、一念発起したかはどうか分からんけれど、鮎川氏は果敢にも、コンピューターの世界に殴り込みをかける。
MACをストラト、DOS/Vをレスポールと見立ててコンピューターの購入選択を行ったり、スキャナーの代わりにFAXで映像をスキャンする(おおっ!Low-Fi!!)あたりはロック・スピリット溢れる鮎川氏ならではのこと。そして、知ってか知らずか、徐々にコンピューター・ジャンキーと化していく、氏のヘンヨウの様は、こちらにも見に覚えのあることだけに真実に迫っていて、大変楽しめる。
周りに「ロックンローラーにコンピューターはいらないのさ」等と嘘ぶくロック好きの知人がいたら、是非手に取らせて見て下さい。ロックとコンピューターは親和性が良いということが理解してもらえるはず。また、コンピューター・ナードと化している貴方も。是非手に取って見て下さい。忘れかけていた、あの頃が想い浮かんで来ますから。

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[真剣師]小池重明 疾風三十一番勝負」
著 団鬼六・宮崎国夫

羽生名人の様子をTVで見るにつけ。将棋界も確実に変わっていくのだなと実感する。そして、どこか寂しいものを感じる。それは、なんなのか?と自問しても、良く解らない。ただ、小池重明氏の生涯にその理由にたいする答えがあるのかもしれないと思う。
熱く、哀しい鬼のはなし。読んでいると、妙に切なくなる。

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