※PART1:●大月隆寛とは何者か?

       ●最強タッグ伝説 ジャイアン大月とスネオ浅羽

       ●誤解される無法松 大月は「右翼」「新保守」か?

※PART2:●大月のコンピュータ・インターネット批判について

       ●例え話 これが「新人類世代」言論人たちの構図だ!


(注:以下の文章は本ページ製作者の主観と独断に基づくものであり、大月氏 自身、また東京外国語大学、国立民俗博物館、「都市のフォークロアの会」  宝島社ほかの公式見解とは全く関係ありません) ●大月隆寛とは何者か?  大月隆寛とは何者か? 一言で言えば「民俗学者」。民俗学はよく民族学と 混同されるが、大月氏の行ってきている局面に関して言えば、それはさしずめ 「リアルタイムの普通の民衆の生きる姿を活写する、日常生活レベルの歴史学」 とでもいったところだろうか? もっとも、私は民俗学という学問自体にはち っとも詳しくないし、これは私の勝手な解釈だが、少なくとも、大月氏にとっ ての民俗学とは「リアルタイムの問題に自分の理想と願望を投影し、先達の学 者が作った用語を貼り付け当てはめて何かを語った気になっていること」では ない、ということだけは確かであると思う。 ●最強タッグ伝説 ジャイアン大月とスネオ浅羽  1990年前後、当時の浅羽通明氏と大月隆寛氏は、まさにヴェルホーヴェンス キーとスタヴローギン……じゃない、キースとミック……いや違うな……何と 言うか、トム・ソーヤとハックルベリーフィン、本郷猛と一文字隼人のごとき 最強タッグであった(ああ、ぜんぜん説明になってねぇ!)。  この当時、大月氏と浅羽氏が共通の標的として論議の俎上に上げていたのは 「高度経済成長期以降に育った、高度消費社会の申し子(即ち「おたく」!) としての同世代」の問題点、そして時のバブル景気の中で同時代のジャーナリ ズムがころりと忘れきっていた、イメージ・観念的なのものと身体的実感との 乖離という問題だったと言えるだろう。そこらへんは、1980年代という時代を、 まさにその時代の甘い汁もすすった身であるがゆえに問題点も良く見える、と いう立場から総括した、今となっては貴重な歴史民俗資料「別冊宝島 80年代 の正体!」(絶版!)に特に顕著に現れている。  この大月氏と浅羽氏の物言いはごく単純かつズサンに、ただ一言「新保守」 の一言にくくられることが多いが、私は、その一言で割り切れるとは思えない。 (ただし大月氏と浅羽氏では「新保守」という用語の概念の認識が微妙に違っ ており、浅羽氏は半ば偽悪的に「新保守」のレッテリングを自ら甘受している)  ここで、私の見解による大月氏と浅羽氏の違いを述べておくと、それは方法 論的な違いが大きいのだが、民俗学者の大月氏が己の身体的実感を元に考える 徹底したフィールドワーカーであるのに対し、思想家の浅羽氏はいわばアーム チェア・ディテクティヴ的な思索と考察の人である、ということだろうか。 ●誤解される無法松 大月は「右翼」「新保守」か?  大月隆寛氏は彼の同年代の言論人の中でも、もっとも激しく誤解されている 不遇の人物である。その誤解のされ方のヒドさときたら宮台真司氏の比ではな い。多くの人々は彼をこう思いるのではないか? 右翼・新保守・マッチョ・ 繊細な苦悩なんぞ理解せず、時代錯誤な「男らしさ」を押しつける抑圧的な古 い大人………確かに、今や良識的市民左翼の最後の砦となりつつある「週刊金 曜日」の看板・本多勝一氏にケンカは売る、自衛隊に取材に行って若い自衛官 たちを礼賛する、平岡正明と一緒に「キンタマのない奴は物を言うな」と発言 してフェミニストの女性たちからひんしゅくを買う、最近じゃ、戦時中の日本 軍の罪業をなかったことにしようとする「新しい教科書を作る会」に与してる、 加えて、もとよりあの髭ヅラにあの体格(身長180p、体重100s)だ、そりゃ 右翼だか単なる筋肉バカと勘違いされるのも仕方ない側面はあるかも知れない (本人も好きこのんでわざとそういうキャラクターをやってる節もある)。  しかし、彼の発言を注意深く読んでみれば、大月氏こそが、彼らの同年代の 言論人の中で、もっともムードに流されず慎重で、的確な地に足を着けた実感 に基づく言説を語っている人物だということが分かるはずだろう。  大月氏の発言には、確かに良識的左翼への批判や、男尊女卑的に聞こえる言 説、また軍隊や旧制高校のような戦前の気風への郷愁が少なからず含まれてい るが、それは決して、国家権力バンザイ主義、或いは天皇制軍国主義バンザイ 主義の類とは確実に違う。  大月氏が論敵としているのは、あくまで、思想の上下左右に関わりなく実感 の伴わない借り物のへりくつの言葉で武装した困ったちゃんであり、自分の理 想と願望の当てはめで勝手に対象を美化して語ってしまえる若者カルチャー論 者であり、大月氏はそのニセモノ性を、まさに喰うに困らぬ時代に育った自ら の世代の病と捉えるがゆえに、女子供には厳しいのである。そんな大月氏は、 けっこう単純に「享楽主義的な今の世にあって、珍しく素朴にストレートな若 者」が好き、という側面がある。自衛隊の若者を好感を持って語るのも、競馬 場で健気に頑張る女性の騎手を冷徹にしかし甘やかさずに見守ろうとするのも、 戦前の責任感あるインテリ像を美化して語るのも根は同じなのだ。また、大月 氏は、一見ちゃらちゃらしてるように見えて、実際気骨のある「いい若者」と いう見方で宮台真司氏や永尾カルビ氏もある側面では正当に評価している。  大月氏の言説は一見「文春」「新潮」ラインのオヤジ保守主義と似てはいる が、そういう保守言説が、オヤジの若者に対する不満の安易なガス抜きにしか ならないのではないか? という側面にも目配りを効かせている。大月氏はた だ若者を叱るだけでなく、建設的な対応を目指したいのである。また、最近の 『正論』2月号などでの発言にもある通り、大月氏は、生活実感を越えて国際 問題を一気に「軍事」の側面だけで語る論客にも警戒的だ。  最近話題の「新しい教科書を作る会」の問題については私もよくはわからない が、大月氏は、最悪の論客(イデオロギー的な結論先にありきの「日本=悪玉」 真理教主義者や、逆に「国家権力バンザイ」真理教主義者)が台頭することを抑 え、実感のレベルで歴史を語る志向を示す為に敢えてここに身を置いているので はないか? とも考えられる。



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